どうやって働かずに海外に行ってるのか。の話

バナヒルズのキャスト 雑記

この日記は以前、ダナン滞在中に起きたため、ダナン滞在日記の冒頭としてあげていた物になるのですが、余りにも旅行日記とかけ離れていたため、分けたものになります。

ですので、日記の中には、ダナンでの出来事が含まれていたり、ちょっと読みにくい部分があると思うので、お許しください。

あとこの話は、ほぼ家族に対するグチ99%で構成されています。

 

「わたしがなぜ一般的な仕事と言われるものをやらずに、このような楽しい海外旅行が出来るのか」という事を話したいと思います。

スポンサーリンク

なぜ私は仕事もせず海外に行くことができるのか

これは人の役に立つような話ではないのですが、これを先に言おうと思った経緯から説明します。

わたしは今ベトナムのリゾートとして注目の的であるダナンに2週間来ているわけですが、安全確認も兼ねて、時折現状を日本に居る母親とはメールで多少連絡はとっており、そのことから、日本で一生懸命会社員として働く兄弟から腹が立たれているようなんです。

わたしの兄弟はいわゆる頭の良い方の兄弟で、大学もきちんと出て、資格も取り、その資格を持って就職し、その資格の分同僚より多少いい給料をもらっている、要するに、”出来るタイプ”の人なのですが、その兄弟は海外に行けないのに、しっかり勉強もしてこなかったわたしが、定期的に海外に行ってるのが「ずるい」という事らしいのです。

そもそも私の兄弟はしっかり勉強もしているので、確かにわたしより相当英語も堪能ですし、結婚する前はよく海外旅行にも行ってるくらい、そもそも旅行は好きなようなのです。

確かに私は現状、実家に暮らしているおかげで、家賃を安く済ませることができるので、出費を抑えられるのですが、とはいえ、海外に来ても、わたしはブログに掲載しないときの食事は、ベトナムでも数十円で押さえたり、そもそも日本に居る時も、出来るだけ必要なもの以外は買わないようにし、食事も毎月3万程度で押さえられるようにしていたりしているのです。

今日の夜食、水込みで30円

それに比べて兄弟は、一般的には正しいのでしょうが、結婚し、子供をもうけ、数百万とする車を車検のたびに買い替え、ちょっとお金持ちの多い地域に数千万もする家を買い、洋服やらを毎月毎月買い替えているのです。

それでいて、「今度は自分(兄弟)も海外に行きたいから、母親にちょっと家族の面倒をみておけ」という事らしいのです。

要するに、自分は毎日やりたくもない仕事を一生懸命やっていて、わたしはそれをやっていないのだから、自分だって海外に行く権利がある。という事なのでしょう。

ですが、それは大きな間違いであり、先ほども言ったように、わたしは海外に楽しみで来ていて、自分が楽しむのは確かに一番ですが、好き放題やっているわけでもなければ、海外に来た情報で、少しでも自分の経験で誰かの役に立つように、と考えて行動し、その結果バナヒルズでもローラーコースターに乗れなかったりという事もあります。

でもその事で腹が立ったりはしません。

そもそもバナヒルズでローラーコースターに乗り損ねたのは誰のせいでもなく、自分自身が選んだことですし、だれも私に「ローラーコースターに乗らずに写真撮ってこい」とも言ってないのです。

要するに自分自身で選んだことだから腹が立つわけないのです。

ですが兄弟は、毎日好きでもない仕事をやっているので、「好きでもない仕事を一生懸命やったご褒美はあって当然だ」と思ってるという事です。

それは結局自分が選んだことであり、そのことでわたしよりはるかにいい給料をもらい、そのおかげで結婚もできて、車も買い、家も買っているのでしょう。

要するにわたしの兄弟の”ご褒美”というのは、「普通に結婚できて、子供の成長を感じれる事であり、ちょっと無理してでも買った車でたまの週末にデパートに行き、ちょっと欲しいと思っていた、ちょっと高価なものを買い、定年まで支払う約束をして借りたお金で買った綺麗な家に帰れること」なのです。

わたしはその全てを持たず、ちょっとおしゃれなリゾート地に来ていても(それは確かに楽しみではあるのですが)、それはわたしの権利なわけではなく、選んだ生き方なのです。

今わたしは以前の肉体労働の貯金を切り崩しているので、ブログ収入などというもので生活できるわけではありませんから、これを職業とも呼びませんし、もし生活費が出るようになったとしても、どちらにしてもそれは職業ではなく、ただの選んだ”生き方”だという事です。

要するに誰も「大学に行き、きちんと資格を取れば、好きな海外にいつでも行けるようになる」とは言ってないのです。

わたしの兄弟はエリートになるためにそれを選び、その方たちの幸せは、食事を毎日カップ麺にしてでも、いつでも海外に行けることではなく毎朝出勤し資格のいる責任ある仕事をこなし、いい給料をもらい、リッチな車に乗る事なのでしょう。

そうでないのならば、なぜはなから嫌々な仕事を選んでいるのか?という真理の話なんだと思います。

とはいえ私も、そもそも将来の収入の安定より、貯金を崩してでも今生きてる実感を求めようと思い、英語も全然わからないのに海外に行こうと決めたのは、父の他界後、ドイツの哲学者のセネカの「生の短さ」を読んだことが大きく、上記のわたしの意識というのは、この影響は大きいと思います。

ですが、わたしがそもそも学校をおろそかにしたのも、所謂”ヤンチャ”だったわけではなく、「なぜそうしなければならないのか?(皆と同じように学校へ行き、偏差値の中で最も優秀とされる学校に入るために試験勉強をしなければならないのか?)」という意識が強くあり、それを両親や親族、学校の先生に至るまで、「みんなそうしてるのだから、そうしなさい」としかいわれず、納得できなかったという性格があります。

結局、一生懸命会社に尽くしても、道半ばで定年することもなく、ガンに倒れる父や、「生の短さ」を読み、そもそも私の「なぜ?」は人生に必要なことであって、学歴や、資格に生きた兄弟は、その道で生きることになるのでしょう。

ですが、わたしはその兄弟に、「あなたは海外に行くしかくはない」と言ってるわけではありません。

要するに、貰った給料から出来るのであれば、好きなようにしたらいいと思うのです。

それは人がとやかく言う事ではなく、人の勝手ですから、わたしの全く興味のないゴルフクラブに1本ウン十万出す人もいますが、それを変とは思わないですし、

私だって、興味ない人から見たら絶対要らないハンドル型コントローラーや、フライトスティックなどを所有していますから、同じことでしょう。

ですから、兄弟も、家や車のローンもきちんと支払えて、旅行代も出せる所までは当然として、数日旅行に行く間、家政婦も頼めるだけの給料があるのなら、行けばいいという事なんです。

ですが実際は、家政婦を雇えるほどの給料をもらっているわけではありませんから、わたしの腹いせ?当てつけ?もあり、母にその数日間の家政婦替わりをいいつけ、わたしが海外でただ遊んでるとでも思って、自分も一生懸命働いたのだから、人の役には一切立たずに、自分だけの楽しみとして、人に迷惑をかけてでも旅行に行こうという事なんです。

そもそも、お金を稼ぐというのは、言葉遊びのようですが、お金を稼ぐ行為であり、”責任ある仕事をこなす事”でないのは間違いありません。

それは実際肉体労働をやるとわかると思います。

誰かがやらなければならない、しかも危険な仕事だから、人生が裕福に生きれるほどの給料が約束されてるわけではないのです。

だから、お金を稼ぐ事はお金を稼ぐ行為から生まれるというのは真理であり、お金を稼ぐ行為と幸せに生きる行為というのは、必ずしも「イコールではない」という事は間違いないでしょう。

ですから、毎日4時半に起き、市場へ出かけ、いい豚肉を仕入れ、おいしいとんかつを作る「とんかつ○▽」で働く大将は、美味しいとんかつを作ることが、この方の生きがいであり、それで人に喜んでもらえるのがうれしいのでしょう。

ですから、そんなおいしいとんかつを食べに行きたいと思うのですし、嫌々作ってるとんかつ屋なんて行きたくないのは当然の事です。

ちょっと話がずれましたが、そういった方は、毎日同じ厨房にいる必要があって、好きな時に海外に行けなくて、収入の多さにかかわらず、この方は間違いなく幸せでしょうし、

逆ならば、お金を稼いでも幸せでない生き方も、お金を稼いでいなくても幸せな生き方というのはあるはずという事なんです。

ですから、今はまだ貯金があるので、海外に来ていますが、貯金が尽きて来た時にどうするのか?というのを考えてないというより、ですから、それこそが人生であり、「なるようになる」とまで、開き直ってるわけではないのですが、「今頑張ればいつか自分もいい思いが来る」というのは確定ではなく、その生き方こそ、「生の短さ」で語られる”生きれない生き方(という表現はされてませんが、同様の表現でいわれてます)”であり、”いつか”という物が人生を運に左右させるもので、運とは、努力で何とかなるものでもなく、とはいえ、頑張らなくていいという事ではなく、「やった生き方か、やらなかった生き方か」と言い換えることが出来るのだと思います。

ですから、出来ることを増やす努力も重要ですし、ダメなことじゃなければやることも重要ですし、でもそれは、自分のためじゃなく、結局人のためになるから、生きがいを感じるのだという事なんです。

ですから、わたしの兄弟は自分のために仕事をして、自分の欲しいものを買って、他の家族に迷惑をかけても自分の楽しみのために海外に行こうとしてる。という事なんです。

ですが、そうは言いましたが、それもまた別にかまわないと思うのです。

それは、「人に迷惑をかけても気にしない」と言い切るのなら、それもまたそういうタイプ人なんでしょうから、批判する気もありません。

平気で割り込むようなタイプの人もまた、そういった生き方で生きてますから、それを批判するのは、人から見た違うタイプの私自身も批判することだと同じだと思うからです。

ですが、この兄弟の問題は、きちんとした職業で、資格を持ち、責任ある仕事を任せられてるのだから、「自分はその位やってもいい権利を持ってる」と思ってることに勘違いがあると思うのです。

ですから、それはお金を稼いでるのなら、好きなようにお金を使い好きなものを買って、好きなだけ旅行に行けばいいのですが、自分が使いたいだけのお金を稼いでいないのなら、それ以上稼ぐか、その生き方以外の生き方をするか、平気で人に迷惑をかける人なのか、のどれかでないと、お金が足らず人に迷惑をかけるのに、それをやっていい権利などというものはどれだけ責任ある仕事をしていようとも全く関係ないはずです。

その家族の職業を明かすのは控えますが、社会貢献度の高い、人に褒められる仕事であります。

要するに素晴らしい仕事なんです。

ですが本人は大学まで行き、資格も取ってるから、素晴らしい仕事が出来る。と思っており、自身はその仕事が好きではなく、本当は海外に行きたいのです。

だったらなぜ、そのやりたくもないはずの仕事で子供をもうけ、車を毎度買い替え、数千万もの借金を抱えて(やや)高級住宅街に家を買ったのか?と言わざるを得なくなります。

それもまた、自分の選んだ結果でないというのなら、それこそ「生の短さ」を読むべきでしょう。

「どのように生きるか」「資格を持ってるか」や、「責任ある仕事か」「給料がいいか」ではなく、「自分の生き方でどれだけの人に貢献できるか」と感じます。

ですから、給料が低くても人生を楽しむ人もいるのも事実ですし、人に命令することも命令されることも、そもそもその目的が、誰かへの貢献でなく、自分の幸せ(贅沢のための給料)のためであるから、それは嫌なものになり、何のためか?がわからなくもなるのだと思います。

書くだけ書いといて「これはダナン日記の冒頭か?」と思ってしまいますが、行ったこともないマカオでトランジットするという方法のおかげで格安(約3万7千)でダナンに来て、しかも帰りはまたマカオで、夜中から朝までロビ泊しなければならず、当然一人だから荷物番なんていないから寝ることもできないという、そこそこ過酷な方法で来ていて、それはそれで、「その方法でもいいから安く行きたい」と思う人の役に立つように、マカオトランジットの様子なんかもそのうち、記事にする予定なのですが、しました。

 

 

とにかく、そのような、ただ楽しいだけではない事楽しめるかどうかは、好きかどうかであり、やりたいかどうかであり、そう生きたいかどうかなのだと思います。

勉強できて賢い自分が海外に行けないのに、勉強もちゃんとしてない私の方が、ちょっとおしゃれな(まだまだ開発中なので出来上がってる地域と、そうでないところの差は激しいですが)ダナンに来て、多分母に送った、ドラゴンブリッジの写真なんかを見て、「自分はやりたくもない仕事を毎日してるのに、私ばかり楽しい思いをしてる」と勘違いされたんだろうという事です。

 

終わりに

今までにないほどグチになってしまい、旅行日記見に来た人には全く無関係な冒頭になってしまってすみません。

詳細は↓下記旅行中の話になります。