【社長へ】親から受け継いだ会社社長には『ブログで稼ぐ』の真意は説明できない。

模索期…
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わたしの家庭は明らかに裕福な家庭ではないのですが、なぜか周囲には小規模ながらも会社経営している、自営の社長さんがちらほらおり、そういった方々とかかわる機会が少なからずあります。

都会と違い、田舎のほうが、先祖からの土地を相続している人も多く、就職先も限られれば、おのずと自営の方が多くなるのかも知れません。

ですが、代々受け継いできた会社も、時代が変わり、必要とされなくなりつつある商品やサービスによって、経営が傾きつつある人もいて、自分の代でたたもうとする人もいます。

確かに時代の流れで必要とされなくなるものや、利益を上げやすいものもあるのですが、その全てを時代の流れのせいにするのは卑怯じゃないでしょうか?

それは、先祖の誰かの時点で作り出し、収入に繋げた”価値”を維持し続けただけで、本人が一度も無から価値を作り出して無いからだと思います。

けれども、それなりにお金を持ち、裕福な彼らに味方は多く、ただ、その実際は、あなたが会社をたたむその時までニコニコと頭を下げているだけで、本当にあなたの会社の存続を考えてなどいないハイエナのようなものも多いと思う。

「社長、社長」と呼ばれるその言葉に気をよくし、社長でなくなれば振り向きもしない人も多くいます。

それでも報われているあなたは、収入量を裕福度と同一視し、たまたま報われた人生をもって、人生を説きますが、会社をたたむのは「時代の流れ」だと言うのならば、0から1を作りだせばいいのではないでしょうか。

これからも、それでもあなたが裕福であること自体にものを言うつもりはありません。

ですがあなたの言葉がどれだけ無意味なものであるのかを、自分の気持ちの整理としてここに書き出しておこうと思う。

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0から1を作り出す難しさ

あなたに「わたしが今何をしているのか」を説明しても理解することは無理でしょう。

それは、頭の良し悪しと言うわけではなく、もし理解できる可能性があると言うのなら、「なぜ、今、あなたはすでに社長でありながら、終わろうとする会社を再興しようと思わないのか?」と言わざるをえないからです。

あなたはその地位に就くまで、若い日から必死に労働に尽くしたのでしょう。

ですが、それもまた、労働が悪いと言っているのではなく、労働によって得られるものは確定でありながら、それ以上は運に左右され、今あなたが持つその会社や土地は、受け継いだものであり、あなたの努力・労働によって得られたものではないからです。

 

当然、会社を継ぐまでに苦労はあったでしょうし、その中で誰よりも労働に尽力したかもしれません。

 

えてして、「努力をすればおてんとうさんが見てる」というような神仏を持ち出すのなら、それこそ、私が今、成し得ようとする事の意味を理解できるはずがないと感じます。

 

あなたは決して悪い人間ではありません。

それどころか、善良な市民です。

ですが、それは必死に生きる他のサラリーマンもまた同じなのです。

その中でたまたまあなたは、先祖から小なり土地を有し、小さいながらも成功した会社を継がせてもらえた「運のある人」なのです。

その事実を、批判するものでもありません。

運があることに嫉妬したり、それまでの努力が他よりも少ないとも思いません。

要するに、「同等の努力や労働は均等に配分されるものではない」という事実を言いたいのです。

その中で、「何らかの要因(容姿でもなんでも)で労働では報われにくい場合でも、労働で社会に尽くさなければなければならない」と言うのなら、生まれた瞬間にすべては決定し、それこそ、努力の価値は無くなってしまいます。

 

どう綺麗ごとを並べ立てても不平等である社会で、唯一平等でなければならないのは、「頑張れば報われる事」では無く

「自分の存在意義は自分で決められる所」

なのではないでしょうか?

 

だからこそ、人は努力をする価値もあり、本質の上で、人に上下が無い事もわかるはずです。

立場上社長であるあなたが、人より多少有能であったとしても、運よく与えられた人である事実は揺るがず、同様の努力が誰しも必ず報われるわけではない事も理解できるはずです。

幼少より、まず資金さえあれば、それだけで価値の提供(及び、構築)を早くにできると思います。

あえて具体的に表現するならば、わが子を幼少期より何度となく連れて行った海外の数は普通の家庭のソレをゆうに超えています。

「幼少期より素晴らしいものをいっぱい見ておく方がいい」というのは間違いはないと思います。

ですが、それをただ自分だけの満足にしてしまうか、そこで得たものを他者にも分け与えるかなのです。

それを「お土産」などと勘違いしてはいけません、価値とはそういうものではありません。

お土産やお歳暮なども、本質の意味で、本当にお互いの価値を尊敬しあい、真心をこめて行うのであれば別ですが、毎回”名詞リスト”から探し出し、”今回送るかどうか”を決めるお歳暮のようなものに利益以外何の意味があるのでしょうか?

物で繋がる関係は物で繋がっているのです。

確かにそのほうが利益も多いでしょう。

ですが、それは真の意味でお互いに価値をもたらす関係ではなく、単に利益をもたらす関係にしかならないのだと思います。

資金力がない家庭に生まれるなど、選びようもなく労働時間を収入の対価とする人も多い中で、

一般社会的に”いい子”とされるあなたの育てた子は、人よりいいものを授かりながら、それなりに良い大学をそれなりに良い成績で卒業し、”知識で有能さを誇示する人”になってしまっている。

知識が悪いとも思いませんし、労働は非常に重要なものではありますが、人より良い条件で育ちながら、他者への価値の提供に挑戦しようともせず、与えられた知識のみで働く労働者になってるではないですか。

それが、当の本人にとって本当に幸せならば別にかまいませんが、誰しも与えられるわけではない中で、人より与えられてもなお、それを他者に提供するでなく、自分の利益にしようとするのは、ひとえに、あなたがたまたま人より持ちえただけで、真の意味で人を導ける人ではないからです。

 

ですから、成功者として人より価値があると思い、語るその言葉通りにしても、表面上、最低限の利益以外に報われるものではないのだと感じます。

 

それでも彼はまだ人より報われるでしょう。

それは親の言うとおり、学校の先生の言うとおり、宿題をこなし、塾に通い、できるだけ良い成績をとってきたからではなく、人よりたまたま持った家庭の、みずから作ったわけではない不労所得である資産を継ぐ事ができるからなのです。

 

ですがその生活は、せいぜい3世代で失うのは相続税から見ても明らかです。

親の持つ資産は権利によって子に受け継がれますし、それ自体私がどうこういうものでもありません。

 

わたしは、それが運によるものだとしても「当然の権利」と認識しているからこそ、一度利益的考えから離れ無職になり、表向きの収入が激減しようとも、”無償の価値の提供”こそ”収入に繋げる本来の価値のあり方”だと考え、ネットをつかい、小額であったとしても自腹でサーバー代やドメイン代を払ってブログを開き、家族にさえそれを理解する人もおらず、誰も教えてくれない中で、あなたの子より与えられたものもはるかに少なく、はるかに劣る知識で海外へ行き、ものを書くという方法をとっているのです。

 

 

ですから、あなたに、私がネットで簡単に「ブログで適当になにか書けば儲かる」とか「発信者側のほうが儲かる」という安易な考えでやっている。と思われるのは心外であり、それによる収入の量もまた問題にならないのです。

 

ですから、収入量で裕福度・幸福度を測ってしまうあなたに、収入=価値提供の真の意味を理解することはできないでしょうし、言っている意味自体理解するのは難しいでしょうから、あなたの気持ちの納まりのいいように私は、

「父の他界から思う所があり、これが将来どう利益になるかわかりませんが、自分探しのため今海外に行ってます。」

と表現するしかないのです。

 

ですがそれは真意ではなく、たまたま労働によって運よく成功したあなたは「労働そのものに価値がある」と信じており、わたしは「価値の提供のための労働」こそ真実であり、そのために働けばこそ、それは企業に属しようとも、個人であったとしても関係なく、正しいあり方なんだと思っているのです。

すべてをうまく伝える事は難しいのですが、あなた方家族は決して悪い人ではなく、価値がないわけでもありません。

 

それはまた、私の行う”一般的ではない”とされるものも、先に収入を見ていないだけで、違った形での社会に対する価値の提供(貢献)であり、あなたの思う「労働」とは少し違うように感じるかもしれませんが、「無職」もまた働いてないわけではないのです。

実際の所、専業主婦のブロガーといわれる人の中にも、稀にブログで月10万でも20万でも稼げる人がいたりする(らしい)事実もまた、本人は気づいていなくとも、長年無償で他者に価値を提供した結果であることは間違いないでしょう。

ですが、そういった数字を先に見る事こそが、価値の提供の本質から外れ、利益に捕らわれてしまいますから、人の役に立つ記事も書けなくなってしまいかねません。

少なくとも私には利益から考えて記事が書けるほど賢くもなく器用でもありませんから、そうするしかないのです。

このブログもまたそういった意味では「失敗のための練習」でもあり、そこで得られるものこそ身になる知識・知恵なんだと思います。

「好きなように生きる事」と「自分らしく生きる事」は意味が異なり、前者はよりお金が必要になりますが、後者ならばお金はあまり重要ではないのです。

ブログ収入でも、大きい収入を得られる人もいますが、そもそも、生きがいを感じない事によって得る大きな収入に幸せを感じないのですから、「男ならもっと稼いで、チープなバックパック旅行じゃなく、良い所に泊まれるようになれ」等といった助言は、運による成功者のエゴであり、誰しも当てはまるものではないのです。

あなたが私より社会的に成功していても、それを妬むつもりは決してありませんが、そもそも優劣をつける物でもないと思います。

「わたしは人生を運に任せず自由に生きることを考え行動し、あなたは運であれ何であれそれなりの収入と地位を手に入れた」ただそれだけの事だと思います。

 

将来、私の考えがいい結果とならず、ただの戯言だった場合「どう生活するのか」といった問題がその時に出るかもしれません。

ですが、生きがいも感じない仕事で給料をもらい、必死に働いた先に、あなたのように大きな病気もなく年をとっていけるとも限らず、わたしの父のように、40代でガンを宣告される事だってあるのです。

 

 

結局わたしの恐怖はそこにあり、そのために今を大事に生きようとする結果が、あなた方には将来を見ていないように感じ、逆に私には、たまたま病気一つせず、資産を受け継ぐ人生のほうこそ運に左右され将来を見ていないように感じるのです。

それが意見の相違であり、自分で0から作らずとも受け継いだ会社社長のあなたには、ブログで稼ごうと思う真意を説明するのが難しく、そもそも分かりあえないのだと思います。

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終わりに

この話は半分フィクションで、半分ノンフィクションなのですが、

実際に、親族からも、仕事をやめたことや、収入が普通(とされる人)より少ないことをあまりよく思われてないのは事実で、

今回題材にした知人の社長さんには、チヤホヤし、今からそれを構築しようとする私が、ブログ(ネットビジネス)を安易に考えてる。といった感じで思われてることに対しての反論として書き出しました。

なので、上記社長さんは実在する人物を想像しましたが、全てをその人にあてて書いたわけではないのであしからず。

(と言い訳しなくても、その本人が見ることは多分無いでしょうが、念のために一応…)

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