会社を辞めて、ブログアフィリエイトで海外に行こうと思った理由。

雑記

以前から投稿している「肉体労働では幸せになれない理由」の記事(というよりただの日記)がありがたい事にそこそこ読まれていて、結局そんな肉体労働を辞めて、色々収入方法がある中で、『どうして海外からブログを書いて収入を得る。という難しい方法を選んだのか?』という事を続きとして書き残そうと思う。

 

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まえがき

まず先に、「無学の私でも出来るけれども、誰しもできる事ではない」という事と、現時点での収入は生活できるほどではない。という事を言っておきたいと思う。

そうしないと、私のように(元)肉体労働者で、それはそれはハードな仕事ですから、「ブログで簡単に収入が得られるかも?」と勘違いされて、仕事を辞めて始めよう。なんて事になると、そんなのには一切責任はとれませんので、まず初めにこれをはっきりさせておきたかった。

この話はただ単に、わたし自身がブログでの収入方法に着手した理由といった内容です。

 

肉体労働を辞めてブログ収入にした理由

以前の記事の中間あたりで説明してる内容に被ってくるのですが、肉体労働では(少なくとも私の行った会社では)、朝4時半出社、平気で夜9時、遅いと10時に寮へ帰宅。

更には無理な納期(小さい会社だったから、そもそもその”無理”「出来る」といって営業を取ってきてるのだと思う)に間に合わせるために、休日返上は毎度のように当たり前の会社で、

前回の記事で触れた長岡さんの言っている『ライスワーク』で時間が過ぎていき、『ライフワーク』なんてあった物じゃなかった。

要するに副業(もしくはそれに伴う準備)などを行う時間が一切なかった。

 

それならば給料は良いかというと、それこそ、無学で何の資格も持ってないという条件の中では、多少いいかもしれないが、

どういったらいいか・・・

ここでは一旦、「10年続けても変わらない」と感じた。と説明しておこうと思う。

 

これは、肉体労働に限らず、感じる人がいると思う。

けれども、それは、上がらない給料を問題視してるのではなく、仮に結婚したり、子供が出来たりしたときに、生活は出来るけれども、「生活しかできない」と感じたという感じ。

それは、「贅沢がしたい」という事ではなくて、それこそ、金銭的な贅沢ならば、そのまま肉体労働を続けていた方が、はっきり言えば確実に出来るんじゃないかと思う。

でも、その贅沢は、「出来ない事に対する穴埋めの贅沢」とでもいう感じで、ちょっといい車は買えるけれども、明日以降もまた4時半に出社し、防音シートに囲まれ一生を(少なくとも定年まで)過ごす人生になり、虚構と感じてしまう。という事です。

ただ、私の表現だとこうなってしまいますが、そこで働いてる方々皆がそうではなく、あのような仕事ですから、心から「好き」と思う人も少ないでしょうが、それでも、少なくとも私よりは現場で仕事中、気持ちの上でも閉塞感を感じない人もいて、帰りに一杯ひっかけて英気を養う生き方をする方もいて、そうして長年勤め、カッコイイ車で出社されてくる方もいます。

そうであるから、そのすべてが悪いという事ではなく、「少なくとも私には合わない生き方だった」というしかない。

 

ここからが趣旨

ではなぜ、そのような仕事を辞めて、色々ある収入方法の中から、かなり不安定なブログ収入を選んだのか?という本題に移ろうと思う。

冒頭でも示したように、現時点での収入では生活できず、これをずっと続ければいつかは確実に数万程度いくとも言い切れない。

この絶対条件を聞いた瞬間に、「そんな生き方無理」と思う人も当然いるでしょう。

それは個々の認識の違いなので決して悪い事ではないのですが、トルストイのいう「未来も過去も存在せず、あるのは現実という瞬間だけ」といった「未来は存在しない」というような考え方や、

ニーチェは「事実があるのじゃなく解釈があるだけ」とも説いており、すなわち、”正解”といったようなものは、社会一般論にあるのではなく、個々の認識で判断しているにすぎず、であるならば、一般的成功幸福も必ずしも一致してるとは言い切れず、子供の頃から親や先生のいっていた「頭がいいといい会社に入れる」は、もはや給料という一点においてしか確実性が見いだせない。

 

よく引き合いに出すけれども、哲学者セネカの『生の短さ』や、投資家のロバートキヨサキの『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント』などからも、自分らしく生きる点においての類似性を見出すと、

一方は哲学者で、一方は投資家と、両者は一見相いれないもののように見えるけれども、セネカの『生の短さ』では、朝から使命感に駆られて、奔走する人を「生きてない」(超訳になります)と表現し、

『金持ち父さんのキャシュフロークワドラント』では、「福利厚生の為に仕事をする人と、自由の為に働く人がいる」(これも超訳です)と言われていることから、

どちらも”人生を豊かに生きる”という点において同じことを示唆しているようにみえる。

それは、仕事に関する部分だけを取り上げても、「権利(給料や福利厚生など)を得ようとすると、自由はなくなる」ととれるように思う。

これは、私の中に長年あった疑問の答えに非常に近く、仕事に尽くし定年前に他界した父の姿にも繋がり、絶対に来ると約束されたわけでもない老後の為に働くのは辞めようと思うに至った。

 

武井壮とロバートキヨサキの成功までの共通点

では、結局、それを叶えるための手段を考えた時、資金力のある家庭(いわゆる資産家)ならば、その資金をもって資産を増やすのでしょうが、私の家は実家があるとはいえ、決して裕福な家庭ではないので、0から価値を構築するしかない。

 

それを例えばお店を開くと仮定すると、店舗代からその店の光熱費から毎日の仕入れ代と、多額のお金が必要となり、その資金を借り入れして始めたりすると、その返済の分の収入が確実に必要になってしまう。

この問題を資産家は、個人の資金から大学などで資格を取るにしても、お店を経営するにしても行う事ができ、そうでない時、先にお金を借りてしまうと、仕事も選びようがなくなってしまう。

それはまさに奨学金を借りてまで大学に行った人が、卒業後すぐに返済の為の収入が必要となり、仕事に好き嫌いなど言えなくなってしまうのはそれに原因があるように思う。

なので、それが好きな事であるならばいいけれど、0から価値を構築するときに、資産が無いのに、資金を借りるという方法をとると、結局そのお金に人生を振り回されてしまう可能性があるという部分を見る必要がある。

そんな資産家と一般人も平等に与えられているのは時間だけであり、資金が無く、お金も借りないのなら、時間をかけるしかない

武井壮の収入論

引用:【武井壮の「大人の育て方」がマジ凄い!】オトナの学校 完全版

 

上記の動画で、武井壮さんは芸能人として一躍有名になる以前8年間家が無く、車で生活していた。と言うような事を語られている。

ただこの動画の内容自体に賛成できないところも多いけれど、武井さんの言ってる事でわかる所も多くあって、少なくともこの方はある競技において日本一にまでなっても食べていけない事を体現してる分説得力もある。

 

けれども、この動画の中で武井さんは、人の価値とは、”求められてる数(人数)”だと言ってあるのですが、

それは結局、「誰も欲しがらない最高のモノより、皆が欲しがるまぁまぁのモノの方が価値がある」と言われていて、その考えは、生活に必要な最低限のお金ではなく、贅沢するのに必要なお金を獲得する方法というように思う。

事実この動画の中で武井さんは「当時年収200万なかったのが、今では2桁増えた」(という事は…)という感じの事を言われてます。

後半に武井さんは「自分が一番になる事はエゴでしかなく、人に提供してこそ価値がある」と言われてる点には、大きく賛成したい。

けれども、「求められた数だけが価値」という事には賛同できない。

武井さんは、確かに結構ハードな幼少期だったことも関係し、お金の重要性を強く感じてるのでしょうが、”より多くのお金を稼ぐには”という観点で価値を見てある感じで、時間の限られた番組だという所もあるのでしょうが、その事を綺麗な感じで話してありますが、

これはつまる所、専業アフィリエイターの方の言う「トラフィック量(数)」の事と同一であり、「真に重要なものでなくとも、今話題になってる物を紹介する方が稼げる」という事ならば、良い悪いは別にしても、いわゆる商材アフィリエイターでも重要視してる事で、そこで成功されてる人の方が、ビジネスとしてやってる分、より本質をとらえてるようにさえ感じる。

ただ社会は、多分いるであろう近所で自由に数万稼ぐ人ではなく、より飛びぬけた、それこそ億レベルまで稼げる人ばかりを紹介するので、そこを見てしまいがちになってしまう。

 

太宰治:
 『とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。』

 

以前の投稿にも書いたように、コンクリートの穴あけも、勝手にやってもお金にならないのが当然で、求められ行うから給料として還元される。

だから、確かに本当に誰も欲しがらないものは商売にならず、そうだと生きてはいけないのも事実でしょう。

ですがそれは無価値というわけではなく、ただ”お金に繋がりにくい最高の価値”だと思う。

ロバートキヨサキとの共通点

話を戻すと、資金が無ければ時間をかけるしかなく、とはいえ、その間も人は生きるだけでお金がかかってくるので、それを最低限まで抑えるため、家を借りるのを辞めて、車に寝泊まりするという選択をしたのでしょう。

これは上記『金持ち父さんのキャシュフロークワドラント』と読んだ事がある人は知ってあると思いますが、これを書いたロバートキヨサキさんも、投資家、資産家になるまでの価値の構築の最中「9年間、夫婦で車に寝泊まりしていた」と語っており、年数はたまたまでしょうが、武井さんとほぼ一致してるところがあります。

要するに価値の構築とはそれだけ時間のかかる行為であり、その時間をかける事が様々な事情によってできない人は物理的に不可能だし、

そうでなくとも、要するに”毎月欲しいものがある人”はそもそも向いてないのだと思う。

 

ここからが核心

上記の二人は芸能人、投資家として、価値を見出したのですが、ですからこれもただ向き不向きで、武井さんはジャングルで猛獣と戦うといったコメディが楽しい人生で、ロバートキヨサキさんは、投資家・経営者になりたかったのです。

だから、それは例えるなら、ジャングルに行きゴリラの生態を調査したく勉強をした人もいれば、色々な虫が飛び回ってる森の中に半年の調査なんて絶対行きたくない人もいるのと同様で、もはや好きかどうかという一点が最も重要となる。

 

そんな中で、わたしがブログ収入を選んだ理由は、有名になりたいわけでもないし、多くの資産を築きたいわけでもなく、

『自分に出来る事の中で、一番幸せに感じること』

というのが第一にあり、当然それは「好き放題に生きる」という事ではなく、まずは「海外に行きたい」という気持ちがあって、

でも、ただ海外に好き放題行くだけでは当然お金にはならないから、それをマネタイズする方法として、旅行先の情報をブログで書くという方法をとることにした。

 

その方法は当然、すぐにお金に繋がるわけではないけれど、その”価値の構築”がブログの場合、ドメイン代とサーバー代なので、冒頭に例えた店舗を借りる事より、はるかに資金がかからず、たくわえの中からやれば、借金をすることもないから、返済の為の労働を強いられることもない。

更には場所に縛られることもないので、物価の安い地域からでも行え、食費も安く済み、収入の問題が更に低くても構わなくなる。

 

好き放題生きたい人は、よりお金を必要とするけれども、自分らしく生きたいだけの場合なら、それほどお金に束縛されてはいないという事。

 

とはいえ、その価値の構築に時間がかかるのも当然あるし、最低限生活できるほどの収入にさえならなかったらどうするのか?という問題がないわけでもない。

けれども、それは反面、一生懸命会社に尽くして、定年前に病気でもしたらどうなのか?という事と同義なので、考えること自体がナンセンスとなり、「ケセラセラ」とまでは言わないけれども、その間ほぼ無収入で、食事がカップ麺だとしても、どうにか行っている今が楽しく、その事でたった100円でも値段がつく事に嬉しさも感じる。

 

その間、欲しいものはあるけれど、無理に我慢して買わないわけではなく、例えば洋服一つとっても、ベトナムに行くようになり、特に感じるのは、

現地で地べたに座ってる人なんかは、失礼かもしれないけれども1枚しか持ってないのか、物凄く汚いTシャツを着てる方なんかもいて、

そこから考えると、私はもう買いたさなくてもいいほどに服も持っているのだから、その贅沢がいけないというわけではないけれど、

それをするために、生きがいを感じない仕事を続けるくらいなら、買わない方がよほど楽しい人生だと感じるという事。

 

なので、それは個々の感性の違いであり、たまに見かける「ブログなら楽に簡単に稼げる」というような表現はあまり適切ではなく、確かに私自身(収入は別として)あの肉体労働に比べると、ブログの方が遥かに楽だと思うけれども、

それはガタイのいい上司から怒鳴られたり、陰険な現場監督に足をわざと踏まれても言い返せない気の弱さであったり、生涯、囲まれた現場で働くことで得るちょっといい収入が私には合わなかったとしか言いようがなく、

勉強をおろそかにした無学の私でもブログは出来るけれども、その先の価値の構築は絶対的に時間もかかれば、そもそも時間をかけても確実に収入につながると約束されたものでもない。

 

 ガンジー:

『明日死ぬと思って生き、永遠に生きると思って学びなさい。』

 

とはいえ、それを考えるより先に、まずは永劫生きると思って学び、それを明日死ぬと思って実践する”今日”が楽しい事一番重要だと感じているのです。

 

まとめ

再三になるけれど、ブログ自体は無学でも始められるし、ブログによるアフィリエイトに限らず、価値の構築に資格なんて必要ないのも事実。

ただ、それとは別に収入の問題というのもあって、海外に行けば稼げるわけでもない事位は当然理解しているし、ボランティアではないので、稼ぐのに必要な部分というのもあると思う。

太宰治の表現を借りるなら「どこまでがインチキでどこまでが正当か?」はわからないけれど、自分のスキルでどこまでできるか?の検討もつきません。

なので、どうやっても将来運営費程度しか稼げないのなら、その時は、労働の方を副業のように行えばいいんじゃないか?と考えています。

 

それでもあえて難しい「ブログ収入を選ぶ理由」は、資産を持たない個人が、少ない資金で始められて、普通の仕事と違って安定収入にもならず、楽に、簡単に稼げるわけでもないけれど、

「ブログ収入なら、場所や労働時間、お金(最低賃金)に支配されず、価値の構築が行える」という事。

 

考え方について、人それぞれなので、どっちが正しいとか言うつもりは一切ないけれど、収入の多さより、まずは自分らしく生きることを優先し、その後について来る金額が本来の自分の収入額なんじゃないかと思っています。