会社を辞めて、ブログアフィリエイトで海外に行こうと思った理由。

収入論
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以前から投稿している「肉体労働では幸せになれない理由」の記事(というよりただの日記)がありがたい事にそこそこ読まれていて、結局そんな肉体労働を辞めて、色々収入方法がある中で、どうして『海外からブログを書いて収入を得る。という難しい方法を選んだのか?を書き残そうと思う。

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まえがき

往々にしてこのようなタイトルの場合、”誰でも簡単に”とか”ネット収入なら自由”といったキーワードで、セールスかける記事にありそうなタイトルですが、そういった類のものでは一切ありません。

アフィリエイト自体は確かに、ネットさえ使える環境であれば、私のように学歴皆無でも関係なく始められるのは事実だし、場所に束縛されたり、決まった時間に決められた時間働かなければならないという事は無いけれども、裏を返せば、決められた時間働いたからといって、月収5万になるわけでもないという事です。

なので、この記事の中には”楽して簡単に稼ぐ方法”などといったないようは一切ありませんので、先に進まれる方はご注意ください。

会社辞めてブログ収入にした理由

以前の記事の中間あたりで説明してる内容に被ってくるのですが、肉体労働では(少なくとも私の行った会社では)、朝4時半出社、平気で夜9時、遅いと10時に寮へ帰宅。

更には無理な納期に間に合わせる(小さい会社だったから、そもそもその”無理”「出来る」といって営業を取ってきてるのだと思う)ために、休日返上は毎度のように当たり前の会社で、

前回の記事で触れた長岡さんの言っている『ライスワーク』で時間が過ぎていき、『ライクワーク』の時間なんてあった物じゃなかった。

要するに副業(もしくはそれに伴う準備)などを行う時間が一切なかった。

 

それならば給料は良いかというと、それこそ、無学で何の資格も持ってないという条件の中では、多少いいかもしれないが、

どういったらいいか・・・

ここでは一旦、「何年続けても変わらない」と感じた。と説明しておこうと思う。

 

これは、肉体労働だけに限らず、感じる人がいると思うけれども、上がらない給料を問題視してるのではなく、仮に、もし結婚できて、子供が出来たときに、お金に困らなくても、「生活しかできない」と感じたという感じ。

それは、「贅沢がしたい」という事ではなくて、それこそ、金銭的な贅沢ならば、そのまま肉体労働を続けていた方が、はっきり言えば確実に出来るんじゃないかと思う。

 

でも、その贅沢は、「出来ない事に対する穴埋めの贅沢」とでもいう感じで、ローンなどで車は買えても、明日以降もまた4時半に出社、防音シートに囲まれ一生を過ごす人生(少なくとも定年まで)になり、虚構と感じてしまう。という事です。

 

ただ、私の表現だとこうなってしまいますが、そこで働いてる方々皆がそうではなく、特にハードな仕事なので、あの仕事を心から「好き」と思う人も少ないでしょうが、

それでも、少なくとも私よりは現場で仕事中、気持ちの上でも閉塞感を感じない人もいて、帰りに一杯ひっかけて英気を養う生き方をする方もいて、そうして長年勤め、カッコイイ車で出社されてくる方もいます。

そうであるから、そのすべてが悪いという事ではなく、「少なくとも私には合わない生き方だった」という事。

 

ここからが趣旨

ではなぜ、仕事を辞めて、色々ある収入方法の中から、かなり不安定なブログ収入を選んだのか?という本題に移ろうと思う。

 

冒頭でも示したように、ブログ収入やアフィリエイトというものは、働いた分だけ収入になるものでもないし、ずっと続ければいつかは確実に数万程度いくとも言い切れない。

この絶対条件を聞いた瞬間に、「そんな生き方無理」と思う人も当然いるでしょう。

 

それは個々の認識の違いなので決して悪い事ではないのですが、トルストイは「未来も過去も存在せず、あるのは現実という瞬間だけ」と言い、アインシュタインもまた「未来は存在しない」というような事を述べていて、ニーチェは「事実があるのじゃなく解釈があるだけ」とも説いています。

これを人生(及び仕事)に置き換えて考えると、”正解”といったようなものは、将来の結果や、社会一般論にあるのではなく、個々の認識で判断しているにすぎず、であるならば、一般認識(出世など)成功将来の幸福は必ずしも一致してるとは言い切れず

子供の頃から親や先生の言っていた「頭がいいといい会社に入れる」は、もはや”初任給がやや良い可能性がある程度の違いしか見いだせない。

 

このような話でよく引き合いに出しますが、哲学者セネカ『生の短さについて』や、投資家ロバートキヨサキさんの『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』から、自分らしく生きる点においての類似性を見出すと、

一方は哲学者、一方は投資家と、両者は一見相いれないもののように見えるけれども、セネカの『生の短さ』では、朝から使命感に駆られて、奔走する人を「生きてない」(超訳になります)と表現し、

『金持ち父さんのキャシュフロー・クワドラント』では、「福利厚生の為に仕事をする人と、自由の為に働く人がいる」(これも超訳です)と言われていることから、

どちらも”人生を豊かに生きる”という点において同じことを示唆しているようにみえる。

それは、仕事に関する部分だけを取り上げても、「権利(給料や福利厚生など)を得ようとすると、それに比例して自由がなくなる」という事。

これは、私の中に長年あった”社会に対する疑問の答え”に非常に近く、仕事に尽くした挙句、定年前にガンを患い他界した父の姿にも繋がり、絶対に来ると約束されたわけでもない老後の為に働くのは辞めようと思うに至った。

 


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武井壮とロバートキヨサキの成功までの共通点

では、結局、それ(自分らしく生きる)叶えるための手段を考えた時、資金力のある家庭(いわゆる資産家)ならば、その資金をもって資産を増やす事も可能でしょうが、私の家は地方に実家があるとはいえ、決して裕福な家庭ではないので、0から価値を構築するしかない。

それを、例えば、お店を開くと仮定すると、店舗代からその店の光熱費から毎日の仕入れ代などなど、多額のお金が必要となり、その資金を借り入れして始めたりすると、その返済の分の収入が確実に必要になってしまう。

この問題を資産家は、大学などで資格を取るにしても、お店を経営するにしても、労働者を雇うにしても、個人の資産から行う事ができ、そうでない時、先にお金を借りてしまうと、仕事も選びようがなくなってしまう。

それはまさに奨学金を借りて大学に行った人が、卒業後すぐに返済の為の収入が必要となり、仕事に好き嫌いなど言えなくなってしまうのは、そこに原因があるように思う。

なので、それを0から価値を構築するときに、資産が無いのに、先に資金を借りるという方法をとると、結局その返済に人生を振り回されてしまう可能性があるという部分を見る必要がある。

 

そんな資産家と一般人も平等に与えられているのは時間だけであり、資金も無く、お金も借りないのなら、時間をかけるしかない

武井壮の収入論

引用:【武井壮の「大人の育て方」がマジ凄い!】オトナの学校 完全版

追記:リンクしていた動画が削除されたようなのでリンクのみ削除しました。投稿タイトルは記録としてそのまま残しておきます。

 

上記の動画で、武井壮さんは芸能人として一躍有名になる以前8年間家が無く、車で生活していた。と言うような事を語られている。

ただこの動画の内容自体に賛成できないところも多いけれど、武井さんの言ってる事でわかる所も多くあって、少なくともこの方はある競技において日本一にまでなっても食べていけない事を体現してる分説得力もある。

 

けれども、この動画の中で武井さんは、人の価値とは、”求められてる数(人数)”だと言ってあるのですが、

それは結局、「誰も欲しがらない最高のモノより、皆が欲しがるまぁまぁのモノの方が価値がある」と言われていて、その考えは、生活に必要な最低限のお金ではなく、贅沢するのに必要なお金を獲得する方法というように思う。

事実この動画の中で武井さんは「当時年収200万なかったのが、今では2桁増えた」という感じの事を言われてます。(という事は…)

後半に武井さんは「自分が一番になる事はエゴでしかなく、人に提供してこそ価値がある」と言われてる点には、大きく賛成したい。

けれども、「求められた数だけが価値」という事にはあまり賛同できない。

 

武井さんは、確かに結構ハードな幼少期だったことも関係し、お金の重要性を強く感じてるのでしょうが、”より多くのお金を稼ぐには”という観点で価値を見てある感じで、時間の限られた番組だという所もあるので、本意のズレの可能性もあるでしょうし、その事を綺麗な感じで話してありますが、

そのまま受け取るなら、これはつまる所、ネットビジネスに置き換えると、専業アフィリエイターの方の言う「トラフィック量(数)」の事で、「真に重要なものでなくとも、今話題になってる物を紹介する方が稼げる」という事と同一であり、

良い悪いは別にしても、いわゆる商材アフィリエイターでも重要視してる事で、そこで成功されてる人の方が、ビジネスとしてやってる分、より本質をとらえてるようにさえ感じます。

ただ社会は、多分いるであろう近所で自由に数万稼ぐ人ではなく、より飛びぬけた、それこそ億レベルまで稼げる人ばかりを紹介するので、”いくら稼げるか”ばかりを見てしまうのじゃないかと思える。

 

太宰治:
 『とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。』

 

以前の投稿にも書いたように、コンクリートの穴あけも、勝手にやってもお金にならないのが当然で、求められ行うから給料として還元される。

だから、確かに本当に誰も欲しがらないものは商売にならず、そうだと生きてはいけないのも事実でしょう。

ですがそれは無価値というわけではなく、”経済効果が高いものと、低いものの違い”でしかないと思う。

ロバートキヨサキとの共通点

話を戻すと、資金が無ければ時間をかけるしかなく、とはいえ、その間も人は生きるだけでお金がかかってくるので、それを最低限まで抑えるため、家を借りるのを辞めて、車に寝泊まりするという選択をしたのでしょう。

これは上記『金持ち父さんのキャシュフロークワドラント』と読んだ事がある人は知ってあると思いますが、これを書いたロバートキヨサキさんも、投資家、資産家になるまでの価値の構築の最中「9年間ほぼ無収入で、夫婦で車に寝泊まりしていた」と語っており、年数はたまたまでしょうが、武井さんとほぼ一致してるところがあります。

 

要するに価値の構築とはそれだけ時間のかかる行為であり、その時間をかける事が様々な事情によってできない人は物理的に不可能だし、そうでなくとも、要するに”毎月欲しいものがある人”はそもそも向いてないのだと思う。

 

ここからが核心

上記の二人は芸能人、投資家として、価値を見出したのですが、ですからこれもただ向き不向きで、武井さんはジャングルで猛獣と戦うといったコメディがやりたかった人であり、ロバートキヨサキさんは、投資家・経営者になりたかったのです。

 

その事から、わたし自身が『一番幸せに感じることはなにか?』を考えた時に、『海外に行きたい』と思い、それをマネタイズする方法として、私の思い当たる中で唯一出来そうな事がブログによるアフィリエイトだった。

 

その方法は当然、すぐにお金に繋がるわけではないけれど、”価値の構築”がブログの場合、ドメイン代とサーバー代なので、上記で例えた店舗を借りる事より、はるかに資金がかからず、たくわえの中からやれば、借金をすることもないから、返済の為の労働を強いられることもない。

更には場所に縛られることもないので、物価の安い地域からでも行え、食費も安く済み、収入の問題が更に低くても構わなくなる。

 

好き放題生きたい人は、よりお金を必要とするけれども、自分らしく生きたいだけの場合なら、それほどお金に束縛されないという事。

 

とはいえ、その価値の構築に時間がかかるのも当然あるし、最低限生活できるほどの収入にさえならなかったらどうするのか?という問題がないわけでもない。

けれども、それは反面、私の父のように、一生懸命会社に尽くしても、”定年前にガンにでもなる可能性”も同様であり、「ケセラセラ」とまでは言わないけれども、その間の収入が激減して、食事がカップ麺だとしても、どうにか行っている今が楽しいという事が最も重要に感じるという事です。

 

その間、欲しいものが無いわけではないけれど、無理に我慢して買わないわけではなく、例えば洋服一つとっても、ベトナムに行くようになって特に感じるのは、

失礼を承知で例えるなら、現地で地べたに座ってる人なんかは、物凄く汚いTシャツを着てる方なんかもいて、

そこから考えると、私はもう買いたさなくてもいいほどに服も持っているのだから、その贅沢がいけないというわけではないけれど、生きがいを感じない仕事を続けてでもそれを維持し続ける事に疑問を感じ、その生き方を辞める事にした。

 

そういった生き方や考え方から、あえて難しい「ブログ収入を選んだ理由」をまとめると、

 

普通の仕事と違って安定収入ではなく、楽に簡単に稼げるわけでもないけれど、ブログ収入(アフィリエイト)なら、

「資産のない個人でも、場所や労働時間に支配されず、価値の構築が行える」

という事。

まとめ

結局、まとめてしまうと、

”資金が無くても自由な時間で、好きな事で、収入が得られる(かも)などといった感じの、胡散臭いアフィリエイトのセールスでよく見る事と同様になってしまいますが、ブログもアフィリエイトも学歴なんて一切関係なく始められるのも事実で、価値の構築(価値の提供)に資格なんて必要ないのも事実です。

 

ただ、それとは別に収入の問題というのも確かにあって、海外に行けば稼げるわけでもない事位は当然理解しているし、太宰治の表現を借りるなら「生きるのにどこまでがインチキで、どこまでが正当か?」はわからないけれど、ボランティアではないので稼ぐのに必要な部分というのも間違いなくあります。

 

どちらにしても、どの位稼げるかよりも、そもそも資産なんてない普通の家庭に産まれた人が、ブログアフィリエイトなら、お店を開く等に比べて多くの資金を必要とせず始められるので、労働から直接収入を得るのではなく、『労働を一度価値に変換し、価値から収入を得る』という方法を学ぶきっかけにも良い勉強になると思います。

191120_編集。191127_ミス修正。一部追記。200515_編集。200609_一部添削。

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