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アフィリエイトは胡散臭いビジネスじゃない事を家族に伝える必要はない。

個人でブログ収入やアフィリエイトを始めようと思うきっかけに、社会に疲れたり、挫折したりといった人も多くみかける。そのとき家族は大きな存在で、それは食べていけるかもわからない事だからではなく、そもそもアフィリエイトが理解されにくいことから来る勘違いや、”いわゆる古い考え”から単純に否定されたりもする家庭もある。

だから、ブログ収入やアフィリエイトのような事に、家族が否定的でないなら、運がいいと思う。

そういった家庭をうらやましがっても意味がないけれど、アフィリエイト本来の難しさとは別に、そういう素敵な家庭に生まれた人にはない、別の難しさもあるという話がしたい。

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アフィリエイトはちゃんとしたビジネス。

アフィリエイトは胡散臭いビジネスじゃないのに、労働の一旦を担う事によって収入を得る家族は意識の阻害をする。

ここでアフィリエイトのビジネスモデルを語っても意味がないけれど、アフィリエイトが胡散臭いビジネスなのではなくて、ビジネスの中にはどの分野でも胡散臭いものは存在するし、それはアフィリエイトが特別にというわけではない。

例えば、ただ海外旅行の思い出を書いた記事に、海外旅行の広告を張るのは悪い事ではないし、確かに自分がその航空会社で行ったわけでなくても、契約する人の目的は果たしていて、それを胡散臭いとするのなら、実際は薄毛でない人が作った薄毛のお悩みサイトも同様に胡散臭いってことになる。

というより、それはサイトに限った話でなく、テレビCMでもCMを作る人は、その商品を少しでも魅力的に見せるのが仕事で、実際に自分もそれで悩んでいたり、その商品を使ってる必要がない。

けれども、一般的に昔からあるスタイルだけは認めて、新しい価値は認められないようだ。

 

最近本屋さんで見かけた、堀江さんと西野さんの本のキャッチコピー「バカと付き合うな」はまさにわたしの場合家族のことを言ってるのだと思う。

この本の否定派も多いのはわかる。

誰かがやらなければならない大変な仕事を「バカ」という表現で言うから嫌がられるのだと思う。

堀江さんの凄いところは中退ではあるけれど東大に行った事でも、起業した事でもなく、その感性にあって、学生時代でありながら社会を見抜く眼力にあると思う。

そしてこの本を否定する人たちは、必死に誰かのための仕事をこなす自分やそう勤め上げた家族を「バカ」呼ばわりするからなのだろうが、わたしの父も人の会社で必死に働き、肩書きとともに責任も負わされ、早期退職させられ退職金から負債を払わせられ、ノイローゼになり、がんになり他界した。

正直実父でありながらそれをバカげていると思う。

 

「そんな人(重要な仕事を担う人)もいないといけない」というのは順風満帆に定年退職し、大きな病気を患うこともなく、往生するからいえるもんだと思う。

確かに「バカ」という表現は良くない。

けれどもこの手の、というより、啓発や哲学という分野の本は、真実を語っているにもかかわらず、本人がまさにその事態になるまで気づかないし、「余計なお世話」とさえ思うもので、その時がきてからでは遅いから、哲学者なんて人たちもみんな強めの口調でそういうんだと思う。

ただこの手の本はあまり読んでも意味がない。

言ってる事は正しかったとしても、それは何百年前からある”哲学”とされる本や、多くの成功者の本に書かれていることとアプローチが違う程度で同じことを言われているのだから、同様の本を何冊も読むことより、その時間こそ価値の提供のために当てることが、彼らの言う「行動する事」だと思うし、その行動とは与えられた労働をこなす事だけじゃない。

 

とはいっても、正直、自分自身も記事書くだけで収入になるブログというものに胡散臭く感じるときもある。

けれども、その感情がまさに自分自身が生み出したものでなく、そういったものをただ漠然と疑い、どんな仕事であれ、今まで通りの人の会社に入る労働のみを正義とする家庭に生まれた人が親や周囲から植え付けられた感情から来るものだと思う。

それは色々なビジネス本やそれに関係した啓発本から明らかでありながら、やらんとする自分自身がそれに疑いを持ってはいけない。

確かにブログで収入は他の労働より楽な点が多いかもしれない。

というより、「海外に行っておいしいもの食べた」なんて方法で収入なんて普通はないし、以前運営していたゲームブログでも、好きで買ったゲーム遊んでちょっとレビューしたら少しでもお金になってるという、多少語弊があるけれど”ゲームしただけで稼げる”なんてことは普通は無いかもしれない。

けれども、それはいつの時代も、職業によってはきついものと楽なもの、お金になるものとならない物があるのは当然のことで、30万稼ぐのに休日返上やら、という仕事は昔からある仕事で、それを選ぶからそうなっていて、言い方悪いかもしれないけれど、自分で選んだもの。

それを、自分はそうしてきたからといって、家でブログをする事を「意味がわからない」と思われ、はっきりとやめろとまでは言われないけれど、認められることはなく、家族の問題児扱いを受ける。

 

その中でも自分を疑わず行動するしかなく、それを近しいものたちの凝り固まった思考によって阻害されるなら、それを「バカと付き合ってはいけない」と自分に言い聞かせるしか方法がない。

そしてその「バカと付き合うな」は”必死に誰かのやらないといけない労働をやってきた人”という事ではなく、「自分もそうしたんだから、みんなもそうしないといけない」といった、結局は相手の事を思っているわけではない人にたいして、自分が幸せになろうとする努力の邪魔をされないための言葉だと捉える。

 

本来そういったときにこそ家族は大きな心のよりどころでないといけないのだけれど、そうでないなら自分からどこかで踏ん切りをつけなければ、中途半端に意識が引っ張られ、それは大きな事業でなくても、行動を起こすときに自分自身が疑問に思ってしまい、その結果行動できなくなってしまう。

アフィリエイトだってビジネスのひとつで、大金が稼げるとか、自分の自由に稼げるとか、そういうことを言う人がいるから胡散臭く聞こえてしまうけれど、大きな世界の中で、「こうでなければならない」というのはどの分野であっても間違いなく固定概念でしかなく、正しさの証明にはならない。

 

そういう家族や親戚は、支えどころか、進む道への障害にさえなる。

そのとき、どっちが正しいかを多数決で決めるのはナンセンスで、自分の行く道を家族も一緒に見ることができないのなら、わからせようとしても無理だから、わかった自分だけがわかった道を正しいと信じて進むしかないのだと思う。

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おわり

アフィリエイトに限らず一般的とされるものから変わった行いには、それ本来の難しさのほかに、家族などに同意を得る難しさというものも一定にあり、それが必ずしも間違った行いではないと思うのならば、自分自身を信じて進むしかないという話です。

もっと価値のある情報を届けられるように、来年香港旅行にいく行ってきました!)ので、もっと有意義な情報を提供できる記事を書けるようになっていきたい。

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