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行方不明だった親戚が見つかった時の家族の対応は本性が出る。

消息不明だった親戚が見つかったときの家族の対応は本性が出るなぁ。

という話。

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十年間行方不明だった親戚が見つかる

数十年消息不明だった親戚が見つかったのですが、無一文のその親戚の引き取りをみんな拒み、ある意味かわいそうな人生だなと。

その人と小さい頃には多少交流もあり、基本的に悪い人というわけではないのですが、いわゆる遊び人?という人で、でも、仕事をしてないというわけではなく、仕事もしてるし、金遣いが荒いというわけではないのだけれど、長く仕事が続かず、社会ってそういう人を嫌うし、そういうパターンで職場を転々としていたら、前の職場より良い会社に入れることなんてそうそうないから、結局また次の職場もやめてしまって、という感じで、徐々にどこにいるかわからない状態になって、消息不明の状態になってました。

わたし自身も微妙にその気持ちはわかり、だから会社員じゃなくて、ブログで収入を得ようと考えたのですが、やはりその人はちょっと昔の人だし、いってもネット収入が簡単なわけではないし、人や社会とうまくなじめないから、職を転々として、収入も減っていったのでしょう。

結局見つかったのが東京のどこからしく、役所の方から、その親戚が病気になって入院し、身元確認で家族に連絡が来て所在が発覚したらしい。

家族はその親戚を「ろくでもない」というように言っていて、確かにお金の件で何度か迷惑を被ってはいるのですが、それを本人もいいとは思ってないから、体を壊し入院になるまで、親戚に10年以上も連絡を取らず、どこを転々としたかは知らないけど、都心にまで流れ着いて、収入も乏しく、ひっそりと生きていたのだと思います。

そう思うと、その親戚の問題は、社会にうまくなじめない事であり、そのうまくなじめない社会はそういった人に対するケアとでも言ったらいいのか、それが無く、どちらかというと、私の家族同様「ろくでもない」と切ってしまうような気がします。

でも本人はその中で、会社に入って仕事をすることでしかお金を得る方法が無いと思うし、どの道も簡単な道はそうそう無いのですが、ただ、その社会で出世してウン十年勤め上げることのみが正しいと、少なくともその親戚もド田舎の人間で、両親から公務員こそが最高の正しい職だといわれ育てられてきたようで、それに一生懸命答えようと、でもどうしても合わないから、次の職へと転々とし、結局徐々に給料から待遇からが下がっていってしまうという負の連鎖がおきてしまったように思います。

補足すると、公務員も重要な仕事なのは理解してます。

 

ただ世の中は、生き方や考え方は十人十色というのに反し、実質的世界ではかなり一定の物の考え方で構築されてるように思い、能力の高低も確かに重要なファクターになるのですが、それ以上にアイデンティティというか、パーソナリティというか、そこには一定の決まりがあって、その範疇でしか社会が受け入れず、その範疇に努力や根性ではなく、性格によってとどまれない人の生き方は非常に狭く、難しいものになってる。

だからその親戚も、できるだけ普通の人がやってるような職で頑張って、でもだめで、そしてどうしてもお金が足りなくなってきたら、他の親戚に迷惑をかけることになり、「お金の切れ目が縁の切れ目」とでもいう、なんとも悲しい、でも実際生きていくのに最低お金がいるので、だれもその親戚を受け入れたくない。という状態になってしまう。

ブログで稼ぐのも簡単なわけじゃないし、それ自体は仕事じゃないし、でも、社会って結局「どんな職か」とか「肩書き」とかじゃなくて、「いくら稼いでるか」で見てる一面は大きくあり、だからブログでも何でも方法はよくて、稼げれば急に手のひら返したように家族も認める。

大人は特に綺麗事や建前で殆どが話をしていて、わたしが本当に興味があるのはゲームなんだけど、それを大人の集まる場で生き生きと話すことは恥で、それを感じず話すと今度は「空気が読めない」といわれ、いわゆる”出来る大人”は建前で本当は興味も無いサムライスピリッツやらジェットセットラジオやニンジャガイデンの話をさも興味あるように聞き、それこそが出来る大人で、他人が作った生涯やめてはいけない(と教育された)会社で出世し、30年ローンで家を買って、それが正しいといわれる。

それを悪いといってるのじゃなくて、それはひとつの形でしかないってことで、でも社会はそういう人を尊敬し、偉いといい、正しいと評価する。

 

自分のために生きてる人が偉いわけじゃないけど、そんな固定された社会の中で、自分の道を探すのも、お金だけじゃなくて、周囲の環境が更に難しくしてるように思う。

小さい町工場でロケットを作ってしまった「植松電気」の植松務さん

この方が、TED主催の番組で、幼少期からの生い立ちを語られていて、一部素晴らしいと思った言葉を引用させてもらうと、学生時代の先生に「ロケット(宇宙開発)は頭のいい人がやるもんだ」というような事を言われ諦めて、一時普通の会社員として生きられたようです。

けど、よくよく考えるとそういった否定をされる人は「自分ではやってない人」だという事を気づいたそうです。

そして最も感銘を受けたのは、何かをする時になかなかうまくいかないことがあったり、進歩してないと思う瞬間には「ただいま成長中」という言葉です。要するに、うまくいくまでの間の準備中なんだと思えばいいという事です。

意訳になってますが、大体そのような事をおっしゃられてます。

 

会社は、はっきり言って何の能力も無い入ったばかりでも、来月にはもう15万とかもらえたりします。

それははっきり言ってありえない状態だと思います。

 

でもそれが普通になってるから、初めて半年でまだ準備中で、まともにお金になってないようなものは、逆にありえないと見られる。

でもそれって、見栄や建前やエゴやそういったもので、身につけたり、趣味のようなものにお金をすぐにでもかけたいからなんだと思う。

だから、他人の作った会社で明日からすぐにでもお給料が発生するかわりに自分の人生の大半を投げ打つ必要がある仕事以外にも、社会が*衣食住を最低限保障された世界なら、もっと自分らしく生きる方法を、みんな模索しながら生きていけるようになる。

それだけだと、当然贅沢は出来ない(”より欲する”なら、嫌でも働くか選択できる)けど、本当は自分はどう生きたいか等を考える事ができ、うまくお金も稼げるようになったら、健康寿命も延び、本人にも社会にもよりよい状態になると思う。

(多分この発想も幼稚だと思われるんだろうけど)

*追記:21年コロナ禍で注目されだした”ベーシックインカム”制度。一長一短諸説あるけれど、出生の良し悪しなどに関係なく、全ての人の尊厳が重視されるのは当然であって、幼稚な発想じゃなかった!

 

出世で報われる人は結局本人がそこが居心地よく、無理以上の無理をしてないわけで、他人の会社で朝から晩まで働いて50万以上稼ぐ人は凄いけど、全員の理想じゃない。

その親戚は私とは違い、そういう人こそ成功し正しいといわれる社会の中でしか、生きるすべを教えてもらうことが出来ず、いや、教えてもらうのじゃなくて、そもそも自分で他の道を探すことさえ許されず生きた末路なんだと思う。

おわり

他者に認められるため一生懸命働き、病気をしてしまい入院しても誰も救ってはくれず、どう言い訳をしても、どんなに努力したのだとしても、そこまでの道から、これからの道全部自分だけのもの。

結局、その親戚も、会社に尽くし負債の責任負わされ、ノイローゼになりガンで働き盛りで他界した私の父と同様「正直者がバカを見る」の典型になってしまう。

それは結局他人のせいにできるものじゃ無くて、どうあれ自分自身で選んだ道なのだから・・・

今回の事からも”自分の人生を他人の意見に左右されてはいけない”と感じさせられたいっけんでした。

210321_微編集 211110_字詰め編集&誤字訂正&追記

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