平均寿命80歳に隠されたウソ。

ライフログ
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よく学生時代に「年とりたくない。40位まで生きたら十分」のようにいってる人がいたけど、まだ若さから本当に老いていく事を心から理解できず、何の根拠か自分はそれまでに何かを成し遂げられると思ってでる言葉だと思う。

2018年現在の日本の平均寿命が女性が87才。男性81才と公表されていて、特に女性は世界レベルでも高寿命となってるのですが、そこには巧妙に隠されたウソがあるように感じる。

実際その数字は医学ではじき出された本当の数字で、これがまた厄介な事に、データで出てる数字が事実なら、それはウソじゃないという世の中にある。

でも本当に重要なのは、最低限の豊かな環境と健康であって、ただの平均寿命には何の意味もないと思う。

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おじいちゃんのブログ

先日、70近い高齢の方のブログを発見し、経験からの知恵が多く詰まった記事を興味深く拝見させてもらったのですが、やはりその年までに紆余曲折、いわゆるサラリーマンでも経験してるし、そこまでぼーっと生きてるわけではないから、様々な歴史的事件や本から色々学び人生の考えを深めているのが内容からも感じました。

その年齢になって、それでもまだ自分の存在意義を考えてるのは、まさに哲学だと思うのですが、世の中ではいい年した社会人がそんな事いってたら下手すると中2病呼ばわりされることもある。

それは若さ全開の、これから出世街道まっしぐらでいって、素敵な人とであって、家を買って幸せに暮らそう。と思ってる20代前半にはこれを理解するのは難しいと思う。

というより、本能的に実は気づいていても。臭いものには蓋をするがごとく、いつか訪れる老後や、そもそも私の父のように必死で会社に喰らいつき結局定年待たずしてがんに倒れる、なんてシナリオは見たくも無いし、想像もしたくなく、自分だけはそうならないと思って生きてるでしょうから。

良くも悪くも若いと体は何もしなくても往々にして健康で、不安なんて無くて、そんな身体がいつまでも続くように思うものです。

そこの真実に気づくには、自分自身がある程度年齢がいくか、若くして他界する近親者の不幸に出会い考えることがあるか、そもそも社会を見抜く眼力のある天才なんだと思う。

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映え文化を利用する人、される人

例えばインスタの「映え」も、そこで注目されたいと若い子は頑張り、それを一部の人間がお金に変えることができ、それも知らずに、はっきりいえば利用されてることも気づかず、社会に踊らされてしまう。

それを頑張る若い人を社会ではうまく「エネルギッシュ」などと表現するのでしょうが、そんな子達も遠からずして、一会社員となり、ローン返済の為に平均年収で必死に働く普通の人になっていく。

自分だけはならないと思ってるけど、社会の大勢がそう。

往々にしてそうなってるという確立の話。

その中で、早くからそれを理解し動く人がいる。

「映え」の話でいうなら、自分が映えるのじゃなくて、人の映えでうまく稼ぐ人なんかがそう。

具体的にどうやればいいかなんてわからないし、というか、そこが知恵の絞りあい。

そこで成功する人は、ホリエモンのような人になっていく。

たまたま有名なのがホリエモンなだけで、ユーチューバーやブロガー、特にアフィリエイターなんかには、普段一般社会では聞いたことも無い名前の人が、満員電車に日々揺られるようなこともなく、仕事の重圧やら、責任やらなく、結構な額稼いでるなんて人もいる。

要するに、そのような文化に流されるのではなく(利用できるなら)利用し、自分の道を疑わず進んでいった先にしか答えを見ることができない。

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平均寿命80年のウソ

最初のおじいさんの話に戻ると、いわゆる普通のサラリーマンをやって定年し、徐々に老いていく中で悲観はしてないようだけど、健康の事、痴呆とかそういったものをより考える年になって、それでもその人は少なくとも健康体で、だからまだ人生について考えることができるのでしょう。

私の父も、途中まではその方とよく似た生き方をし、いわゆる普通にサラリーマンで生きましたが、定年より10年以上も前にがんで他界しました。

仮にそうでなくても、必至に働いて定年し、住宅ローン返済してようやく海外旅行にでも行こうと思った時、若い時のように体が動かないということも十分考えられる。

結局「考える前に動け」みたいな話になってしまいそうだけど、そういうことがいいたいのじゃなくて、「平均寿命」も結局さっきの「映え」と同じで、それ自体に人を豊かにする効果は含まれてない。

「デスクワークの平均寿命は立ち仕事より短い」とかいわれたって、結局辞めたりできないのに、その無駄な情報を届ける人と、役にもたたない雑学を手に入れる知識人。

ローン抱えて好きでもない会社を辞められない人と、30代で会社作ったり、やりたいプロジェクトを実行する人。

好きな事で稼ぐ人は往々にして生き生きしていて、逆に、ローンを抱え好きでもない会社に働きにいって楽しめる人は珍しいと思う。

でももっと重要なのは、自分らしく生きた人も、「今頑張れば」と思って好きでもない仕事でも頑張った人も、等しくこの先どうなるかわかったもんじゃないという真実。

自分らしく生きるために、人の作った一時のカルチャーに流されず、自分の大切なものを見つめ探す必要がある。

いくつまで健康でいられるのかなんて事は誰にもわからないし、「良いことしたから助かる」とかそういう保障もない真実の中で、90まで生きれば納得できるとかそういうわけもなく、

だから、「今を生きる」っていうのも、今やりたいことやるのではなく、かといって将来のための貯金やらのためじゃなく、「人より稼ぎたい」と思って頑張るならそれが自分のやりたいことだし、「楽しく生きたい」と思ってそのために努力するならそれが「今を生きる」ってことで、結局それは最初のアプローチが違うだけで両者は似たような道なんだと思う。

少なくとも一時の流行のようなカルチャーや、「平均寿命」のようなそれ自体大して価値を持たない情報にいつまで惑わされるかの問題だと思う。

自分のために生きようと思ったら、遅かれ速かれいつ気づくかの違いで、それは少なくとも速いに越したこと無いのは間違いが無い。

 

小学校のダンスの意味とそこに隠された真実

今時の小学生は授業にダンスを取り入れられたりして、将来的な国民の健康(健康寿命)を意識してるのかもしれないけれど、実際に長生きしてる職業は政治家と落語家なんて話も聞いた。

どちらも、どちらかといえば座ってる職種だし、嫌々やってるなんて事ありえない。

要するにこの政策は、本人の希望なんかどうでもよく、国にとってより利用価値の高い体力のある労働者を育てたいだけの政策なんじゃないかと思ってしまう。

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28歳で独立する人たち

「人生楽しむために会社辞めてブロガー・アフィリエイターになりました」みたいな人も結構いたりして、そういった人プロフィール読むと年齢が28歳前後が結構いたりするのは、意気揚々と入った会社で、その年頃で徐々に気づくからだと思う。

ホリエモンのような人が天才と言われるのは、勉学的賢さもあるだろうけれど、それより20代前半の大学在学中という段階で気づき起業したりするからなんだと思う。

 

別にブログが人生を楽しむツールなわけじゃないけれど、少なくとも「受動的」から「能動的」に変わるのは間違い無いし、このシステムをうまく活用して収入に換えることも出来る。

サイトによるアフィリエイト収入は厳密には不労所得とは少し違うけれど、収入が安定してくれば、定期的な管理で済み、不労所得や印税収入に近い状態にも感じる。

ロバートキヨサキ著「金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント」という本に、「結局豊かに生きたかったらいつかは投資家になる必要がある」というようなことが書いてあり、この人の知人には、不動産投資で十分稼いでるにもかかわらず、仕事をやめない人がいるとかで、結局その人はお金とは関係なくその仕事が好きだし、あと数年したら退職金やらもでるからついでに続けてるとかそういう話らしい。

だから、サラリーマンが全員人生楽しめないわけじゃなくて、自営だったとしても、結局好きでもない事を必死にやって、健康診断やら、医療を受け、それで伸びた「平均寿命」には何の意味もなく、いくつまで生きるかより、何をして生きるかなんだと思う。

私の父は40代後半に末期がんを宣告され、医者は「あと5年早く病院に来ていたら治療の手ももう少しあった」というけれど、仮にそれで治ったとしても、仕事の悩みまで解決したわけではない。酷い言い方をするなら、亡くなることで開放されたともとれる。

だから、若い頃に言う「好きな事やって、40まで生きれればいい」というのは、人の目や社会に惑わされず、後悔しないよう(当然法の許す中で)好きな事のために努力し生きた結果が40かも知れないし、50かもしれないし、90かもしれないだけの話で、、

その中で一番無念なのは、好きな事を達成するための努力さえすることなく、人生の末を迎えることなのは間違い無いと思う。

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おわり

「好きな事を仕事にする」とか、「自分らしく生きる」とかいうと、「誰でも簡単に出来ることじゃない」といわれたりするけれど、それは事実だけれど、ただ延ばすだけの『平均寿命』ではなく『健康寿命』で生きたいと思う。

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