フリーライファーに因縁つける人は「価値提供」に気づいてないから稼げない

雑記

フリーライファーさん(付利意雷布亜)は、ブログでの稼ぎかたもあってか、ブロガーの中でも特に有名な方なので、わたしが紹介するまでも無いのですが、”例のサイト”(後に説明します)で稼げているであろう彼を妬んでか、某巨大掲示板などで、フリーライファーさんを悪く言う人を見かけたりする。

わたしはフリーライファーさんと知り合いでも無いし、ただ擁護したいわけではなく、ようするに、彼が稼げている理由がわからないから、妬んだり因縁をつけたりしているのだと思う。

今回は、フリーライファーさんの例のサイトはどうして「悪くないのか」を題材に、アフィリエイトで稼ぐために必要な意識をわたしなりに思う事を書きます。

 

 

フリーライファーさんの”例のサイト”は事情から直接のリンクは控えたいので、メインサイトのほうをリンクさせていただきます。

 

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まえがき

わたしが初めて「フリーライファー」さんを知ったのは、ブログアフィリエイトのやり方の情報を調べていた2015年ごろで、そもそもこれを書いていたのも数年前なのですが、ようやくワードプレスでブログを立ち上げられた”今頃の投稿”になってしまいました。

当時、このフリーライファーさんのブログを見て、やってることは確かに”表向き”ではないけれど、「アフィリエイトのやり方」よりも「生き方」のほうに共感できるものを感じたのですが、某巨大掲示板などで、彼の事を悪く言う人を見て、ただ擁護したいのではなく、「否定してても何も生まれない」という思いを書き残したものになります。

それから数年たった今でも、人気者のトラフィックにあやかろうと、彼に突っかかる人も見受けられ、そういった全てが、ビジネスでも稼ぐために重要といわれる「価値の提供」から離れている。

という事にも繋がり、今でもあげる価値はあると判断し投稿しました。

 

アフィリエイトで稼げ無い人と稼げる人

フリーライファーさんに因縁をつけてる人は、「稼げて無い」から「稼げてるフリーライファー」に因縁をつけてる。という構図に見える。

けれど、本質的には逆で、彼に因縁をつけるような感性のままでは、アフィリエイトに限らず、個人ビジネスでは稼げないのだと思う。

ようするにビジネスで稼ぐために必要な重要な部分を見逃してしまっている。

多分往々にしてフリーライファーさんに因縁を(直接でなくとも心で「あんなやり方・・」と思うのも含め)つける人は、ビジネスを「たまたまうまく注目されれば稼げる」といった、たまにいる、それこそ”たまたま運で成功したに過ぎない人”をビジネスで成功した人だと思っているのだと思う。

例えるなら、リズムネタの一発屋芸人(この方が直接悪いわけじゃない)を見て、「なんでもいいから注目されれば稼げる」と思ってしまう”感性(←ここが問題)”にあるように思う。

確かに社会では適当な事でも、たまたま注目され”稼げる人”も産まれたりする。

けれども彼らには憧れるものでもなければ、あまつさえ、学ぶところは少なく、だからこそ運よく稼げたに過ぎない人の「お金を稼ぐに繋がったエピソード」なんかの情報に踊らされてはいけない。

 

フリーライファーはなぜ稼げるのか


上記を踏まえて、フリーライファーさんのサイトを照らし合わせていきたい。

フリーライファーさんは、確かに一般社会的にはあまり表立って言える内容では無いかもしれないけれど、彼のやってるビジネスから「たまたま運よく」だけではなく、「何をやってるか」を見る必要がある。

確かに彼も始めは、わたしのおぼえてる限りで要約すると”ブログで多少稼げるようになり「物価の高い日本にいてもどうせうだつが上がらないなら、物価の安い国に行けばいい」”といった発想で、海外に行き、更には普通の人があまり扱わない話題でブログを書き続けることで収入を得る事に成功したのだから、始めは多少なり運も関係しているかもしれない。

けれども、最も重要な点はそこではなく、彼は誰に言われるでもなく、”実費で海外に行き、どうなるかもわからない世界に自分の身をもって体験し、ブログにした所”にある。

ようするに、どうなるかもわからない曖昧なものに誰の出費もなく自力で行った部分に注目する必要がある。

横暴な表現をするなら、”自分さえ良ければいい人が、成功した人を見て、それまでに何を行ったかも知らず、「注目されれば稼げる」”と言ってのけてしまってるのではないのかという事。

 

ここで話題にしているフリーライファーさんのブログは”例の東南アジアに関して”の事で、多くは、フリーライファーさんのサイトに因縁をつけてる人はこのサイトに関してだと思う。

ではなぜこのサイトをわたしは「悪くない」と断言するのかというと、先に要点を言ってしまうと、ようするにあのサイトもまた「価値の提供をしている」ということ。

彼の例のサイトはいわゆる、表立ってあまり扱われない内容のサイトではあるけれど、そこは問題じゃない。

例えば、フリーライファーさんのサイトに検索でたどり着く人を想像してみる。

「タイ + 行き方 +(例の言葉)」

そうすると上記が考えられ、そこにたどり着いた人が「何を求めているか?」が重要になる。

それは、確かにあまりおおっぴらに言うものではなかったとしても、少なくともそのサイトは読者のニーズには答えている。

ようするに、フリーライファーさんはそれで収入を得られるようになるまで、それを行いたい人の役に立つ記事を無償で、実費で、提供していたのです。

だから、彼のサイトにある内容自体があまり表でいう内容でなかったとしても、それで稼げているフリーライファーさんに因縁をつけるのは間違いであり、

というより、その暇があったら自分のできる事を、私利私欲のためでなく相手のためになる形として考える必要が最も先決だとわかりもする。

ただ、「価値の提供」を全く意識していない人でも、旦那さんがいて安定収入のある専業主婦の人などには「儲けよう」という気持ちがなく、好きで5年もの間ブログの運営をし、だからこそ収入に繋がっていたりする人もいるのだと思う。

だからアフィリエイトの世界でもシンプルにその事を「最初は稼ごうと思ってはいけない」というように表現しているのだと思う。

ようするに、「稼ぐのに必要なことは私利私欲でなく、相手のためになること」に気づけないなら、「稼ごうと思わず記事を書け」と言われれたほうが、直接的でわかりやすいのでしょう。

ではここで問題になるのは、「それで稼げなかったらどうする?」という問題。

確かにそれは間違いなくあります。

それに関して確実なことは、少なくともわたしにはわかりません。

けれどもそれが詐欺っぽくあるのならば、「某難関大学進学率70%」など謳う塾の看板はなぜ詐欺では無いのかといえるのだと思います。

それは不合格者の確立30%の話ではなく、仮にその難関大学に合格できたとしても、そもそも「将来確実に幸せになれる」ということが保障されてるわけではないからです。

それでもあれが詐欺で無いのは、そこに進学したいと願う人に、誰も(国も)「その難関大学に行け」とは言っていないにもかかわらず、みずからの意思(家族や先生の意見、社会における普通という概念なども含め)でそこに行きたいと思い、その塾に相応のお金を払うからです。

その例えは、”例のフリーライファーさんのサイト”にも言え、誰も「そこに行ってあなたもこうしなさい」とは言っていないのに、みずから「例のワード」で検索し、その国に行くのですから、そこでどうなるとも保障はしてません。

とはいえ、ならば「適当な事を書いていいていいのか?」というとそういうことではなく、だから、まず最初にフリーライファーさんは、誰に言われるでもなく、みずからの実費でそこに赴き、実際に得た情報を無償(少なくともその情報を見に来てる人に対しては)で提供しているのです。

これは「わたしもそうしたいから擁護している」というわけではなく、この部分にビジネスを運でなく成功に近づける鍵があると思うのです。

だから、私自身が付き合いがあったり直接知っているわけではないフリーライファーさんを、知り合いでも無い人の悪口をただ擁護したいのではなく、彼のやり口に因縁をつける人が稼げないのは、「まずさきに、自分が儲かろうとしてるのではないのか?」と思う。ということなのです。

そこに学ぶところは大きく、「素人が○ヶ月で成功した」などのアフィリエイト関連の書物にはそのあたりが抜け落ちてるものも多くあるのじゃないかと思う。

わたしも実際始めは、「人と違う目線でトラフィックさえ集めれば」といった、ビジネスでなく、そういった形でたまたま運で成功した人ばかりを参考にしていて、

それを”社会のせい”とまでは言いませんが、実際そういった方法論の本や、そういった人を題材にした番組が多いのも事実です。

しかし、そういった考えで作ったいくつものサイトは結局私利私欲的で、一切収入にもつながりませんでした。

ですから、アフィリエイトをやるにしても、アフィリエイトの本だけでなく、「投資家はなぜ持ち家を資産でなく借金というのか?」などといった本質的ビジネスを知る事の方が重要で、そういった情報を、ネットや本で収集し学ぶ必要があると思う。

それを総合したとき、すべては「そもそも自分が儲かろうとしてるやつに誰が大切なお金を支払うのか?」という考えに至り、そうであるから、綺麗ごとではなく商売の本質が「自分のために、ではなく、相手のために」である事が重要なんだと気づく事に繋がっていくのだと思います。

 

逃げ口上では無いけれど、だからといってそれが絶対に稼げるというわけでもない。

けれども、私利私欲で行動して稼げる事の方がまれだろうし、仮にそれで稼げなければ、周囲からは確実に「自業自得」といわれるものだし、どちらにしてもいい気持ちのするものではないでしょう。

だからブログを書く際でも、タイトルにしても、内容にしても、確かにSEOは意識するけれど、それ以上に、そのタイトルでどんな人が読み、その人に少しでも価値のある情報は届けられるか?と意識し、それで5回でも読まれれば、データとしての回数だけではなく、5人でも読まれたことに感謝もするようになるはずです。

そういった事が欠如していては、仮に稼げてもそれは運だろうし、お金の為にずっと働くことになるのだと思う。

 

まとめ

どの時代にもその時々で儲かりやすいコンテンツがあるのは事実だろうけれど、簡単に稼げるものなんてあるはずがない。

「始めて○ヶ月でいくら稼ぎたい」とか(思うのは自由だけれど)を考える前に、「5年でも10年かかっても、相手に価値を与える覚悟があるか」が重要で、それを蓄え無しにやろうとすると無理もでて、甘い言葉にそそのかされたりしてしまう。

結局、誰に言われたわけでも、全く当てもないものに、自らの責任で長い期間かけて価値提供してきた”今”成功してる人を妬んでしまっているのじゃないかと思う。

 

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