前回『観光客はレンタルバイクに無免許で乗ってる?』という話の中で、「交通違反したらお金(賄賂)で解決してるらしい。」という説明をして、
その際、そもそもボッタクリや賄賂は許されるのか?と、あまりにも話が脱線しすぎてしまったのでその部分だけ下記に転載しました。
賄賂は相手のためになるのか
それ(賄賂やボッタクリ)は正しい事ではないと思う。
だけれど、発展途上国の、少なくともベトナムという国を多少でも理解していくと、「なぜそのような行為をしてでもお金を稼ぎたいのか」が、わからなくもなく、一言でいうならば「文化の違い」なのだと感じます。
”カルチャーショック”という言葉はよくいうけど、その言葉の真意を理解すると、日本では考えられないけど、「ベトナムでは役人にお金払えば無免でバイクに乗れるらしい」という事も受け入れることになるのだと思います。(補足:私は乗りません)
それは、日本にいると考えられないし、そんなの完全に違法行為だと感じるかもしれないけれど、それが文化(カルチャー)の違いであり、当然その行為や違法そのものが良いという事ではないのだけれど、職業が出生に大きくかかわるといわれるベトナムでは、警官の給料はあまり良い方ではないらしく、
でもその人たちだっておいしいものは食べたいし、家族も幸せにしたいと思うのは当然で、それを日本人の観点から、「違法行為を賄賂で見過ごすことは悪徳千万」と言いのけてしまうという事は、
つまり、、
「その仕事でアワでもヒエでも食べて生きていけるのなら、生涯ハワイ旅行に行けないとしても、そんなことしてはいけない」
と、決められた職さえ全うすれば、20年目の結婚記念日にハワイでもドイツでも行くことだって可能な日本人がいうのはエゴだと思うし、誰しも結婚できるわけではない世の中で、その人はそうなれるだけ日本においても運がいいほうだと思う。
当然その人たちも必死に働き、ようやく定年祝いに夫婦で海外旅行に行くのかもしれない。
でも、必死に働くかどうかだけで給料が変わるものでもなく、稼げる人は年収億単位稼ぎ、その人たちは往々にして”稼げることをやったから稼げた人たち”がほとんどで、だからと言ってその人たちが努力をしてないわけでもないのだけれど、
出生で職業が決められて、月収2~3万程度(平均年収24万円と見かけた)しか稼げないベトナムの人たちが、それ以上の努力や稼ぐための試行錯誤の余地もなければ、どうやってそれ以上に豊かになれるというのだろう。
だから、今の日本の平均年収約400万の中で、それ以下のワーキングプアといわれてしまう人も、その人たちにも多くの事情があり、努力で全員が報われるわけではないけれど「誰しももっと”豊かになれるチャンス”がベトナムの人よりあるのではないか」と感じてしまう。
例えば、日本の家庭なら、普通程度の経済力でも、恥も外聞もかなぐり捨てるなら、”ひょっこり”的な事や、桶持って”100%”的なことを「ユーチューブ」やなんかでやることだって可能で、(当然それが稼げるというわけではないけど)
要するに、留まるも挑戦するも自分次第で許されているのが日本という国で、日本からベトナムに行くのはノービザで15日行けるのに対し、ベトナムの人は日本に来るのも一苦労で色々手続きがいる。
その位日本人であるだけで優遇されており、ベトナムの人からすると同じアジア人でありながら「世界レベルで通用する日本に行きたい」憧れるという人も多くいる。
でもそれが可能な人は限られていて、学問優秀だから行けるものでもなく、実際にハノイで見かけた、確実に無免ぽそうなどうみても未成年にしか見えない少女が早朝から大量の卵をバイクに乗って市場に売りに来ていたりして、
その子の家の事情は知らないけれど、もしその子がそこから抜け出したい(違う事がしたい)と思った場合努力でどうにかなる問題ではない部分も多くあって、
生まれから決定された職業で可能になる幅が、努力しだいで日本に行ける行けないの問題にとどまらず、そのチャンスを掴むことさえ出来ないのなら、どうにかお金を稼ぐ方法を考えだした結果、多少話がずれるけど、観光客には観光客価格(≒ボッタクリ)で商売するという一面もあるのだと思う。
そのいわゆるボッタクリとか賄賂とかが「世界的に見ても先進国はそのようなことはあり得ないのだから、即刻やめるべき」と言ってのけるのも、カルチャーの押し付けであり、それは過去の歴史を見ても争いの原因になったりもする。
確かに日本は先進国として色々進んでいる部分があるのは事実だけれど、イコールで発展途上国の人が劣っているというわけでもないし、今の先進国が完成形というわけでもない。
だからもしかすると、今の発展途上国の進化の先は、日本やほかの先進国とは違う、もっと「正しい事は正しく評価され、どんな結果でも努力は努力として評価され、見た目や出生に全く左右されることなく真の意味での平等な国になる可能性」だってなくはない。
つまりこの問題は”格差のある社会”の問題で、ベトナムには今でも物乞いが普通にいたりして、そういった方に(お金を)出すべきか、出さざるべきか等々の問題も、本来、一個人が抱える問題ではなく、税金を取ってまで国が存在する以上国が対処するべきことのはず。
だから、
(賄賂を)出す側が「渡せばどうにかなる」という考えはより良い将来のためにならないけれど、欲しい側が「賄賂やボッタクリしてでも・・・」と考えてしまう事に対策を講じる必要があるのだと思う。
おわり
わたしがベトナムに行く理由は物価が安かったり、並み(以下)の容姿の私でも、先進国に行くより異性にも好意的に思われたりするのがはっきり言って嬉しい、という気持ちは確かにあります。
けれど、それを自分の方が優位だとは思わないし、ましてや発展途上国の人を劣っているとは全く思わない。
感覚で確実にわかる善悪もあるけれど、途上国の人は、今まさにどうにかやって豊かになろうとしているのであって、彼らだって「悪い事をしてやろう」という気持ちからではない人が多い。
だからといってボラレたくないのは事実だけれど、「発展途上国で国民意識がまだまだ低いから~・・・」などといった発言はしてはいけないと思う。
220814_別記から分離&一部編集