【改定】ヒカキンに憧れる子供を正しい方へ導く方法

模索期…
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ちゃんとした職で働く親戚が、昨今の副業ブームに踊らされ、某チューブで億単位稼いでる(らしい)ヒカキン氏の影響を受けて、「あんな簡単(そう)に億稼げるなら、ちょっとやれば月:数万程度は簡単に稼げるんじゃ?」などと言っている。

実際に体力という点に関して言えば、楽なものとそうでないものがあるが、体力面が楽でも知恵や競争の面では楽とは限らない。

特に彼は初期参入者であるという面も大きく、簡単に言うとライバルが少なかったというメリットが大きく働いている面は疑いようがない。

とはいえ、彼も今に至るまで努力は相当あったのだろうけれども、誰でもできる(=参入者が多い)今からやろうと思うのなら、それ以上の才能や努力が必要であり、少なくとも、奇をてらった動画を作れば簡単にバズると思うのはあまりにも安易な発想なのは間違いないと思う。

子供の多くは表面的華やかさに憧れるので、私も子供のころはテレビに出ている芸人さんに憧れたこともあったけれども、それが今ではユーチューバーに変わっているだけで、目指したら誰でもなれるわけではないという構図は変わってはいない。

(ヒカキン)や、彼のファンを否定するつもりは一切なく、ツベでの収益を否定するつもりも一切ないけれど、彼の話を通して、大人(親)として子供に”どんな人を尊敬し目指すべきというべきなのか?”という話と、結局”どうやれば自分のやりたいことが収入に結びつくのか?”の話をしたい。

 

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”ヒカキン”は成功者なのか?

まず、忌憚なく私の意見を述べると、今のヒカキン氏に憧れることも、羨ましく思うことも全く無い。

それは、私は人前で自分自身が興味もない”ど下手なダンス”なんて恥ずかしくて絶対踊りたくないからだ。

 

 

社会一般ではヒカキンといえば、お菓子のパッケージになっていたり、年収億稼ぐ(←特にココ)だとか、高級車買っただとか(これはお兄さんの方かな?)、今の成功者の代名詞になってる節はある。

この通常値を遥かに超える(金銭的)成功は、当人の才能や努力もあるだろうが、それ以上に、まず先に今世紀最大のラッキーパンチだと考える方が妥当な意見だと思う。

これは成功した彼らに対する嫉妬などではなく、事実論として、テレビでは番組として成立もしない程度の動画(初期の頃)で、億なんて額が稼げるわけがないのが事実だからだ。

「でも、実際彼らは稼いでるじゃない」となるが、これはテレビの衰退とともにテレビに出資していた企業がネット(ツベ)に乗り換えだしたころと重なっていて、丁度そのタイミングに、彼らが少なくとも日本では誰よりも早く(=運よく)、ソレ(=稼げる動画)を実践していたから、誰よりも多いトラフィック(ツベ的に言うなら登録者数)を得る状態になっている。という初期参入者のメリットは大きくある。(彼の努力がないと言ってるわけではないので誤解のないように)

 

なので、今、(特に若い子ら)が「ツベなら簡単に稼げそう」と勘違いを引き起こしてしまい、せいぜい学生のノリ程度の動画が氾濫して、大半は稼げずに終わってしまう。

ただその稼げなかった人たちにはヒカキン氏のような才能が無かったのか?というと、一概にそうではないように思う。

例えるなら、もし仮に、ヒカキン本人が今までに築いた資産(お金だけでなくヒカキンというブランドや人脈など)を一切使わず、名前も変えてもう一度また同様にやり直したとしたら、その”成しえた本人でさえも”現在の状態(収入・地位)に再度到達することは不可能だろう。

しかし、例えば「イチロー」のような伝説の野球選手の場合、再度20歳に戻り、もう一度野球選手としてやり直したら、、、事故といった不確定要素が無ければ、確実にもう一度伝説の人になれると思える。

すなわち、(野球選手の場合体格などに大きく依存するが)イチローの練習法なら見習うべきポイントがあるが、ヒカキンの過去の動画を参考にしても、ビジネスとして見るなら再現性がないという事。(最近の動画はもうスタッフがいて制作されている。=テレビと一緒)

なので、彼らが自分の趣味でやっていた動画配信が”たまたま”収入に結び付き、それが誰よりも早かった結果、労働量を遥かに超えた収益になり、そこに憧れるものも多いだろうが、単純にあの方法で「稼げそう」と考えるのは間違いだという事。

 

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ヒカキンから見習うべきポイント

上述したように、ヒカキンの成功は「運」も大きく関与しているが、それは”億”という金額においてであり、(ツベを今からやると仮定して)彼にも見習うべきポイントがある。

それは、ヒカキンのページを見ると、初投稿から約10年で、全チャンネルの総動画数を合わせると、3000以上あることから、ほぼ毎日動画を(つまろうが・つまらなかろうが)上げているという事が分かる。

参照:https://www.youtube.com/channel/UClLV6D8S4CrVJL64-aQvwTw

 

要するに、動画配信に係る(企画・撮影・編集)といった作業を毎日こなしていることから、それが好きかどうか/やりたいかどうかは別問題として、これを労働とするなら「年中無休で働いた」ともいえる。

なので、それをやりたいと思えるか(即ち、そもそもそれ〈動画撮影など〉に興味があるのか)が重要になってくる。

だから、初めるキッカケが「ツベやれば億も夢じゃないんじゃない!?」という発想から始めてしまうと、多くが100円さえも稼げずに終わってしまうという事実にも結びつく。

要するに、簡単に言うと、自分のやりたい事は本当にソレなのか?という事。

 

ヒカキンは最も稼ぐ”労働者”

世の中には毎日せわしなく働く事なく収入を得る投資家や不労所得者もおり、間違いなくいるはずなのに、こういった人の話はほぼ出てこない。

実際、本当の成功者はあまり表に出てこない。

事実、「××物産の手放した鉱山を購入したロツアの資産家」とか、名前を調べても素性一つ出てこないし、ましてや自分を売り込もうと必死にイソスタなんてやってない。

 

投資家のロバートキヨサキ著『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント』という本の中に、『年収1億以上稼ぐ個人(事業主)も稀にいるがすごく忙しい(意訳)』というような一文があった。

この説明のために、若干補足すると、収入方法には4種類のパターンがあり、労働者・個人事業主←労働者側経営者・投資家←労働以外で収入を得る側、となっている。

要するにこの”億稼ぐ個人事業主”とは、自分の身をビジネスにしている芸能人(=ヒカキン)も同様で、彼らは忙しくなければ稼げないし、稼げば忙しくなるという当然の結果になる。

 

彼らに投資をしている企業にとっては、当人が好きでやってるか嫌々なのかは、はっきり言って知った事ではないので、トラフィックがあるのなら投資をするし(わかりやすく言うならスポンサーになるといった事)、トラフィックがなくなれば当然投資価値はない。

そういった部分から考えると、社会は彼を成功者として祭り上げる方が、必至に働けば成功できるというプロレタリアート(賃金労働者)の幻想が生み出されて都合がいいのではないか?とも感じてしまう。(今回の件と趣旨がずれるので)

だから本当にやりたいことが”動画投稿”なら、その収入量に関係なく続けるだろうし、もし、お金のために働いてるという状態になるなら、彼もツベに好きな物の動画を上げてるだけで、せいぜい月50万でも稼げていたのなら、その時のほうが余程本質的成功者のように思える。

 

”稼ぐ”人と、”稼がせてもらう”人

『ツベなんかで動画上げれば、誰でも簡単にお小遣い程度稼げる』と勘違いした親は(上記親族の事)、今のヒカキンの収入だけを見て、必至に働いてる自分より高いことへの嫉妬から否定したり、そうでなくても、逆に子供だけでなく親さえも一緒に憧れてしまい、『楽に10万稼ぐ方法』でなく、『年収億”稼がせてもらってる”人間』に成功を見いだしてしまう。

労働者が悪いわけでは決してないが、労働者の場合、労働に行けば月30万などが稼げてしまうので(大変かどうかは別)、10万や5万程度なら簡単にイケるんじゃないか?と勘違いしてしまう。

しかし”稼がせてもらう”のではなく”稼ぐ10万”ははっきりいって”簡単”ではない。

ツベをやると仮定して、やって初めて自分が月に1円も稼げない事を知り、知った所からが勉強が始まる。

けれども、年収億稼ぐ人と言うのは、結果的に、それは楽に10万くらい稼げる状態であり、もはや”楽”でなければ、億レベル稼ぐこと自体を成功だと思うと、”稼がせてもらう状態”(←この事を、キンコン西野さんは何かのインタビューで「局側にマウント取られる」と言うような表現をしていたのだと思う。)になってしまい、うまくそうなれば、お金には困らないかもしれないが、周囲からはチヤホヤされるが、なんだか中身が足りない感覚にでも陥れば、収入だけはあるので、ペット飼ったり、高額なモノでその寂しさを穴埋めすることになる。

これはヒカキン本人がその状態に陥ってると言ってるわけでなく、だから、「あなたは今楽しいですか?」というシンプルな問いに、「眠かったり、きついこともあるけど、楽しいよ!」というのなら、それは、年収の問題でなく、それが彼らの生き方であり、他人が口出し(批判)するものでもなくなる。(芸人さんと一緒)

 

その前提のもと、子供に本当になってほしいものが、1円でも多く”稼がせてもらう人”なのか、自分のやりがいをもって幾らだろうとも”稼ぐ人”のどちらが幸せなのか?をきちんと見定めないと、

学力をつけさせる為にわざわざ月謝まで払って塾に行かせるのに、ツベで動画上げて人気者になれば稼げるという矛盾した発想の原因となり、親が「勉強しなさい」と言っても、子供も楽しい人生の為の努力なのか、どうあっても億単位稼ぐ為の努力なのかも分からず、混乱してしまい、結果的に、どちらも無理な状態になってしまうのだと思う。

 

見習うべきはラリー・ペイジ

参照:ラリー・ペイジ (Wikipedia)

 

結局、このヒカキン氏の成功は、日本という片田舎で、好きで動画上げてただけのその辺の兄ちゃんに、それだけの収入とチャンスを与え、それは、彼に対してだけでなく、世界中の好きな事を1円からでも収入に変換させてくれる、ユーチューブ・及びグーグル・ひいてはアルファベット・結局ラリー・ペイジさんの恩恵だ。

彼(ヒカキン)の総動画再生数が億だというのなら、ラリーペイジの作り上げたグーグルは、ネットを使う全世界数十億という人に、検索も、翻訳も、メールも、マップも、全て”無償で(←最重要)で与えており、その彼こそ、あまり表に出てこない人物として、最も憧れるべき人だし、ビジネスとしても見習う点が多い。

 

商売を「情弱を騙して得るもの」という人もいるけれど、一部それは事実の時もあるけれど、やっぱり『人に与えた価値が収入になる』ものだと教えるべきだと思うし、その最たるものがグーグル=ラリーペイジだという事。

そう解釈した時初めて、子供に憧れるべき人、尊敬すべき人、必要になるスキルなども説明がつくようになり、「ひと(ヒカキンさん)がいくら稼いでいるか?といったところから来る嫉妬」や、本質的にそうなるべきかどうかといった事が、大人として矛盾なく子供にきちんと説明が出来るようになるのだと感じる。

結局あなたの幸せって何?

自分のやりたい事があるのなら、これまででも「個展を開く」だとか、作った作品(商品)を「フリーマーケットに出店する」などという事はできたわけで、、そういった意味で、ツベは、自分の作品を提供できる”新しい場”に過ぎない。

だから、本当に「動画コンテンツが作りたい」「(自分が出て)人を笑わせたい」と思うのなら、それが本当に自身の幸せ(望み)なら、それ自体は良い事だと思う。

それに、もし「人を笑わせたい」と思うのなら、それは資格はないかも知れないが、、

例えるなら、M-1の1位(参加人数数千程度の頂点)でさえ難しい…どころか、今まで何もやってない人間に、いきなりなるのは絶対に無理だというのは簡単に想像できると思う。

そうであるなら、(絶対数は分からないが)誰でも簡単にUPできてしまうツベの方が、その中から抜きんでるのはどう考えても一層難しいと理解できる。

 

(その分「誰しもチャンスがある」という言い方もできるが、、、映画の評価はさておき「レミーのおいしいレストラン」を思い出す。一流シェフに誰でもなれるのではなく、誰しもなれる可能性がある。(とかなんとか)

 

なので、どういう作品(動画)であれ「これを使えば価値を提供できるぞ!」と思う事が大事で、そういったビジョンがあるのなら、結局のところ収益とは関係なく続けるだろうし、それが結果的に収益にもつながる可能性は十分にあると思う。

ツベはそんな、個人でも”好きなことで稼げる可能性”を提供してくれているだけで、それを勘違いして、そもそも動画コンテンツに興味もない(やった事もない)のに「うまくバズれば」とか「これやったら稼げそう」だとかいった精神でやるのなら、きっと徒労に終わると思う。

そこを見誤ってはいけないし「自分が、自分が、」ではなく

世界中の何十億という人に無償で価値を提供した結果世界屈指の大企業にまで成長させたラリーペイジを見習うべきだ!と言いたい。

 

おわり

副業ブーム(そもそもブームって・・・)で、何かをやろうと思う事は決して悪い事ではないけれど、今までやった事もないものを「簡単に稼げそう」と思って始めるなら、十中八九徒労に終わると思う。

これは決して、稼ごうと思う事自体を「悪い」と言っているのではなく、その方法がユーチューバー(要するにタレント≒芸人)であったとしても、そもそも稼ぐことは社会貢献を伴って発生するものだと理解するべきだし、子供にもそう教える事で”やりたいことで稼ぐ”とはどういうことなのか?の真意が見えて、その目標に向かって行くことがようやく出来るのだと思う。

 

将来、いつかこんな私でも結婚できて、子育て出来る時が来たなら、子供に「将来の夢は、ヒカキンになりたい」ではなく、

「ヒカキンでさえ作り出した、ラリーペイジになりたい」

といわせる親になりたい。(恋人さえいないけどね…)

 

補足:今から始めようとする人が稼げない理由

話の流れ上、うまく入りきれなかったので、もう少しだけ補足。

ヒカキン氏本人があれだけ稼げるようになったのは、上述したように、ユーチューブの収益が長きに渡って成立する特別なものだった事による運なのは間違いないと思う。

けれど、”億”という額まで稼げるかは別として、彼が未知のものに対し「何かをやろう」と思い立って行動した人だという部分を見る必要がある。

なので、彼の場合、ちょうどその頃ツベが無かったとしても”何かをやっているであろう人”なことは間違いないように感じる。

すなわち、そこが重要になってくる。

 

なので、今からツベを始めようと思う人が稼げないと思える根拠は、一つは、ツベの収益が落ちてるという事実の部分もあるが、それ以上に、「未知に挑戦するのではなく”既知の形”をやろうと思ってる」という部分が大きく関係している。

 

”お客さん”になってはいけない

「ツベのやり方(稼ぎ方)」といった本も、始めはどこから手を付ければいいか分からないから1冊は読むのも有用だと思う。(ネットで調べるにしても)

けれども、その本を仕上げるのに何十時間も、何人もの手がかかっており、ボランティアでもないのに、そもそも他人(ひと)がなんで何十時間もかけて私(自分)のために稼ぎ方を教えるのか?(当然ウソは書いてない前提で)と考える必要がある。

話が脱線しすぎないようにするが、これはツベに限った話ではなく、「お金の稼ぎ方」等という本(や、それをレクチャーする全て)も同様で、レクチャーしている内容で稼いでいるのではなく、そのレクチャーそのもので収益を得ている。簡単に言うと、本を売って稼いでる。

それは彼らの稼ぎ方であり、売れるという事はそれだけの信ぴょう性があるという事なのだから、それ自体を非難しているわけではないが、とはいえ、そのような本を読んでる段階では、まだ”お客さん”でしかない。

本業で稼ぐ方が利にかなっている

上述したように、私の親戚もそこそこいい成績でD学も出ていて、しっかりした所で働いており、そのような場合(勉強ができても意味がないという事ではなく→)下手に勉強ができた過去があると、知識で判断するので、知識がないものに対しては挑戦しない傾向があるように見える。

*そこには失敗した際に”頭がいいというプライド”が傷つきたくない(恥をかきたくない)という意識も関係してるように思う。

だから”10年前”ではなく、情報が出尽くした、”まさに今”急にやろうと思うに至ってる。

とはいえ、今からやる人は誰も稼げないという事ではなく、なので上述したように、「これならアレができる!」という感覚を持ってるなら、今からでも稼ぎうる可能性はあると思う。

ただし、再三だがヒカキン氏の稼いでいる(であろう)”億”単位は、初期参入者という部分が大きいので、今からツベをやりたいと思うこと自体を否定も止めもしない(する権利もない)が、それは結局それ相応の作業・努力が必要なのは間違いない。

すなわち、今、すでに収入を得ている本業でさえ大変(なはず)なのに、副業の方が稼げると、簡単だという感覚には間違いがあり、ゲームで例えるなら、”メイン武器より切れるサブ武器”なんてことは通常あり得ない。

だから、ツベであろうが結局稼ぐには、それ相応の作業などの”労”が必要なのだから、「稼ぐ」という定義で考えるなら、すでに使えるメイン武器(収入になってる本業)を磨く方が利にかなっていると思う。

 

副業(投資)ブームに”乗せられた人”になってはいけない

副業や投資(新NISA)も、最近”ブーム”などになってるが、それは国としても、ソレで稼げようが稼げまいが知った事ではなく、やりたいという人を止める必要がないだけで、やれば誰しも稼げると言ってるわけではない。

更には、その準備の分(編集用のPCの用意や撮影用のGOproなどの用意)でお金が必要となり、それを先行投資ともいえるのだろうが、その赤字を本業の収入から負担しようが(要するに赤字運営だろうが)、その分税金が入るのだから、国としてはむしろ止めるはずもない。

なので、その段階では”お客さん”であり”乗せられた人”になってしまう。

嫌味な表現に見えるかもしれないが、そう認識しなければ、貴重な時間をただ無駄にすることになり、収入になる事もなく、何も身につかずに終わってしまう。

だからこういった話より、(詰まる所)多くが”稼ぎ方といった本”や、”巧妙に意欲を上げる本”を自ら喜んで読むだけの”お客さん”になってしまうという部分に繋がる。

 

続ければ稼げるのか?

実際、続けなければ収入も見えてこないのは(どれにしても)事実だが、では、続ければ、辞めなければ、絶対収入になるのか?というのも、端的に言うなら、結果論として「途中までやってみた(頑張ってみた)が、万単位の収入なんて簡単じゃない」と気づくから結局多くが辞めてしまうのだと思う。

なので、「ずっと続けないから、」「途中であきらめるから、」というのは事実である反面、収入のために始めるのだから、1万円どころか100円さえも簡単じゃないと知ったときに、続ける理由がないので、結果辞めてしまう。

すなわち、それでも続けるのか?ということ。

”バズ”る可能性

”バズ”という言葉も最近では一般浸透したのか、ここ最近急にネットビジネスに目覚めた上記親戚も(ツベで)「バズればいい」的なことをよく口にするが、この”バズ”という言葉も詳細は調べないが、少なくとも10年近く前にはすでに使われており、すなわちその道のプロは何十年も前からそれを実践している。

 

それでも新参者が「運よくバズる」というパターンもあるかもしれない。

けれども、そのバズも、全員が目指しており、かつ、言い換えるなら、それまでずっと素振りを続けてきた人もいる中に、急に昨日今日「稼げるんじゃなかろうか?」と思い立った人間が入ってきて、いきなりバズを掻っ攫う事がどれだけ難しいだろうか。

なので、結局それ(その作業や行為)が楽しいのか?、本当にソレをやりたいのか?であり、それで人にどんな価値を提供できるのか?と考えるべきだという事。

その部分をヒカキン氏は(たまたま大きく稼げるようになったから続けたのかもしれないが、、、←もしそうならそれこそ彼を見習うべきではないという部分にもつながっている)、子供たちに”所謂お笑い”という形で価値を提供している。(楽しいと思うかは別として)

とはいえ、そのヒカキンも、そもそも価値を提供できる場(簡単に動画配信できる場=youtube)をラリーペイジが無償で提供したから可能になったのであり、なので、見習うべきはヒカキンよりラリーペイジ…というと語弊があるが、どちらにせよ、どのような形であれ「他者の喜ぶ価値を提供したから結果的に収益に結びついてる」と認識するべきだと思える。

(本当の)終わり

話が二重になったけれども、、、

「ツベの稼ぎ方(的な)」本で知識を身に着けるのも無価値ではないけれど、副業にしても、稼ぎたいと思うなら、手段がツベであれ何であれ、”他者への貢献(価値提供)が重要”だと自身も認識するのが答えとして最善であり、子にもそう教えると、どんな形であれ(すなわち手段がツベだろうが)、収入量よりまず社会への価値提供を考え行動する人になり、それが結果論として、自分のやりたい事で稼げる人にもなりうる可能性もあるのだと思う。

 

編集記録:191206 200921 211221 2309 2312 2402補足追記 2403微修正

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